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毒親(家族)体験記ー好きなものを身に着けられず、価値観を否定される悲しみー

  こんにちは。 今日は、毒親体験記、というより、 いまはこんなに幸せです、という話になりそうですが、 「好きなものを身に着けられず、価値観を否定される悲しみ」 について、お話ししたいと思います。 実は、今年、ロングのダウンコートを新調しました。 背中、お腹、腰があたたかくて、ホッとします。 一方で、「子どもの頃は、親の価値観を押し付けられて、 嫌な思いをしたな~」ということを思い出しました。 私の通っていた学校は、校則が無い学校だったので、 どんなコートを着ようと、私の自由でした。 ところが、私は、高校生まで、ピーコートを着用することを強要さ れておりました。 その当時は、ダウンコートという発想は無く、 学用品売り場や子どものフォーマルな洋服の売り場にある、 ショート丈のピーコートか、膝丈のダッフルコートか、 という選択肢でした。 寒がりだった私は、膝丈くらいのダッフルコートを着たかったので すが、 私の父親は、 ・ダッフルコートはダサい ・ピーコートを着ないなんてありえない と言い、それでも私がダッフルコートを着たいと言うと、 ・カネを払うのは親なんだから ・じゃあ、コートを着なければいいよ と言いました。 いま考えると、 ・親の価値観の押し付け ・子どもの価値観の否定 ・金銭的脅迫 ・不適切な衣類の提供(※私は寒がりです) で、虐待に抵触するのではないか…?と思います。 他にも、幼稚園生の時から、無理やり丸眼鏡を着用させられ、 以降、自分の顔が嫌いで、鏡を見るのも嫌だったし、 写真を撮られるのも嫌になった、なんてこともありました。 私は、顔が丸いので、丸眼鏡にすると、余計に顔が丸く、太って見 えてしまうので、 丸眼鏡を嫌がったのですが、これも、 ・この(親が選んだ)メガネじゃないなんてありえない ・そんなに嫌なら、メガネ無しで生活すれば と言われたんですよね…。 ファッションに限らず、万事がこんな調子でしたので、 「この世には、正しい一つの価値観があって、  それに従わないとダメなんだ」 という思い込みがありました。 人の考えも、自分の考えも、 「こうでないといけない」という思い込みがありました。 とにかく、窮屈で、息苦しかったです。 さて、今年の冬は、ひざ下まで丈がある、黒のダウンコートを購入 しました。 寒がりな私には、ロングコートが健康的ですし、 汚した

毒親(家族)体験記ー亡き父を美化していた私が、父からモラハラを受けていたと気づくまでー

  こんにちは。 今日は、「私の毒親体験記」ということで、 「亡き父を美化していた私が、父からモラハラを受けていたと気づ くまで」 というテーマでお話をしたいと思います。 私の父は、私が高校1年生のときに亡くなっており、 父の死後約10年間、私は、思い出の中の父を美化し、 「優しい父親だった」と思っておりました。 しかし、毒家族(父方の祖父母、母)と絶縁し、 これまでの過去について考える中で、 私は、自分の父親は、モラハラ人間だったのではないか、と思いま した。 この話を、ある相談者さんに一例としてお話ししたところ、 「家族に対する思い込みが解消されていくところが、参考になった 」 とのお声をいただいたので、他の方の参考にもなるのでは? と思い、記事として執筆することにいたしました。 私の父は、私が高校1年生のときに亡くなりました。 父がどんな人だったか?ということを考える上で、 長いこと、私の中で印象深いものがあります。 それは、父の戒名です。 私の父の戒名は、「慈恩院○○○」です。 (葬儀会社に教えてもらった、浄土真宗のお坊さんにつけていただ きました。  私は、「そんなに立派にしなくても」と言ったのですが、  私の父方の祖父が、「墓に院号がついていない人間がいると、  自分の戒名に院号をつけにくいから嫌だ」と言い、  大金を払って院号をつけました。あくまで、自分のため(笑)  見栄っ張りな母も、同意しました…) なぜ、戒名に「慈」と「恩」が入っているのか? それは、父が亡くなったとき、生前の父の様子を聞かれて、 家族で話し合った結果、 ・穏やかな性格だった ・娘に優しかった ・家庭を大事にする、マイホームパパだった と、お坊さんに伝えたからでした。 さて、それ以来、私は父のことを 「優しくて穏やかで、家族想いの素敵な父親だった」と思って過ご していました。 しかし、心の奥底には、ひっかかりというか、 モヤモヤした思いを、抱えていました…。 確かに、穏やかだったかもしれない。 でも、本当に、私のことを大切に思っていただろうか。 私の父の言動は、優しそうでいて、そうではなかったのではないか 。 私の父は、本当に、家族を大切にしていたのだろうか…? 私には、父にされて、嫌だったことが、いくつかあります。 一番嫌だったことは、無理やり、通いたくもない私立学校に、 小学