小ネター自由時間への罪悪感と向き合って考えたことー
こんにちは。 今日は、小ネタということで、 「自由時間への罪悪感と向き合って考えたこと」 についてお話しします。 私は、自由時間を過ごすことが、得意ではありませんでした。 何か、崇高(?)な目的、たとえば、 ・勉強して、将来、いい進学・就職・資格取得を達成する ← 達成できないとダメ ・ダイエットをする ← リバウンドするとダメ ・よい体験をし、将来に生かす ← 将来に生きないとダメ ・よい交流を維持する ← 単に楽しむのはダメ。よい交流でないとダメ … といった具合に、目的と結果がないと、 自由時間を過ごすことに罪悪感が芽生えました。 … もはや、自由時間が自由時間ではないんですよね ( 笑 ) そして、本当に、ぽけーっと過ごしていると、 「ここでロスタイムがある以上、あとで成果を上げられないとダメ」 と自分を責めていました。 ・世界的名門大学(ハーバード大学等)に行けない自分はクズ (自分よりも大変な環境で進学した人もいるのにという罪悪感) ・体重が 45kg 以下じゃないとダメ (太ると、拒食⇒過食⇒嘔吐・下剤⇒ … ということを繰り返していました) ・ SNS で楽しい日々を過ごしていることを掲載している人と比べては 自分の楽しみ方に「幅がない」「中身がない」と落ち込む ・いい人脈を、いい距離感で、長く育めない自分を責める 極端に思えるかもしれませんが、本当に、こんな感じで、 自分をダメダメと否定していました。 成果もあげられずに、ぽけーっと過ごしていると、 「価値なんかない自分なんて、死んでしまいたい」と思っていました。 どうして、こんなに、「成果」にこだわるのだろう? どうして、自由時間を、気ままに過ごせないのだろう? 振り返ると、自分は、ある思い込みにとらわれていたことに気づきました。 「なんで、お義母さんは、家事もしないし、テレビをぽけーっと見ているのかしら」 「お義母さんは、友だちもいなくて、みじめね」 「生きている価値とか、意味って、あるのかしら」 上記は、私の母が、私の父方の祖母について、述べた言葉です。 これらが、自分にとって、呪縛になってい