小ネター自由時間への罪悪感と向き合って考えたことー

こんにちは。
今日は、小ネタということで、
「自由時間への罪悪感と向き合って考えたこと」
についてお話しします。


私は、自由時間を過ごすことが、得意ではありませんでした。
何か、崇高(?)な目的、たとえば、
・勉強して、将来、いい進学・就職・資格取得を達成する 達成できないとダメ
・ダイエットをする リバウンドするとダメ
・よい体験をし、将来に生かす 将来に生きないとダメ
・よい交流を維持する 単に楽しむのはダメ。よい交流でないとダメ
といった具合に、目的と結果がないと、
自由時間を過ごすことに罪悪感が芽生えました。
もはや、自由時間が自由時間ではないんですよね()

そして、本当に、ぽけーっと過ごしていると、
「ここでロスタイムがある以上、あとで成果を上げられないとダメ」
と自分を責めていました。

・世界的名門大学(ハーバード大学等)に行けない自分はクズ
 (自分よりも大変な環境で進学した人もいるのにという罪悪感)
・体重が45kg以下じゃないとダメ
 (太ると、拒食⇒過食⇒嘔吐・下剤⇒ということを繰り返していました)
SNSで楽しい日々を過ごしていることを掲載している人と比べては
 自分の楽しみ方に「幅がない」「中身がない」と落ち込む
・いい人脈を、いい距離感で、長く育めない自分を責める
極端に思えるかもしれませんが、本当に、こんな感じで、
自分をダメダメと否定していました。

成果もあげられずに、ぽけーっと過ごしていると、
「価値なんかない自分なんて、死んでしまいたい」と思っていました。



どうして、こんなに、「成果」にこだわるのだろう?
どうして、自由時間を、気ままに過ごせないのだろう?

振り返ると、自分は、ある思い込みにとらわれていたことに気づきました。



「なんで、お義母さんは、家事もしないし、テレビをぽけーっと見ているのかしら」
「お義母さんは、友だちもいなくて、みじめね」
「生きている価値とか、意味って、あるのかしら」

上記は、私の母が、私の父方の祖母について、述べた言葉です。
これらが、自分にとって、呪縛になっているんだと、気づきました。


私の両親は、私の父方の祖父母と、私が小学生の頃から同居していました。
父の稼ぎが少ないため、私の母はパート(週5、フルタイム)で働いていました。
その上、朝5時には起きて朝食を作り、洗濯をし、
帰宅をしたら洗濯を取り込んで、家族の食事を作っていました。

一方、私の父方の祖父母は、何も家事を手伝いませんでした。
だからといって、祖父母が生活費を多めに出してくれるというわけでもなく
(私の祖父母は、「高級住宅地の一軒家に息子夫婦をタダで住まわせて、
 『面倒を見てやっている』」という認識でした。
 祖父母と母の認識にズレがあったことも、不幸な結果の要因の一つだと思います)
私の母は、フルタイムでパートをし、ワンオペで家事・育児をしていました。
でも、誰も褒めてくれない。

自分ばかり負担してという怒りや悔しさの矛先が、
夫や夫の両親と話し合って、自分の負担を軽減するという方向ではなく、
「同居している夫の母は、家事も労働もしないから、生きている価値がない」
と批判する(娘に愚痴を聞かせる)方向に向かってしまったのかと思います。


ちなみに、私の父方の祖母は、私の父方の祖父の母(私の曾祖母)とは
同居もしませんでしたし、何らかのケアを担うということもしませんでした。
曾祖母と祖母は仲が悪かったという本音ベースの事情もありますし、
曾祖母が元気だったのでケアが不要だったという状況もあります。
その上、曾祖母も祖母もお金があったので、金銭的に共依存になる必要性もありませんでした。

私の母は、私の父が貧乏で同居をしないと生きていけなかったのが本音ですが、
「自分は長男の嫁だから、同居をしている」と思っている節がありました。
だから、私の祖母に対して、
「長男(私の祖父は曾祖母の長男でした)の嫁なのに、同居をしないなんて」
と、責めると同時に、うらやましいという気持ちもあったと思います。

私の母としては、
・とにかく、自分が、パートに家事に育児にと、
 頑張っているということを認めてほしい
・姑がしなかった「義両親との同居」をしている私は偉い
・こんなに頑張っているのに、義姉(私の父の姉)から
 「親にたかってる」と言われて悔しい
・これまで専業主婦で、そして、老後は嫁に家事を丸投げしている祖母が
 うらやましい
という気持ちもあったと思います。


そういった気持ちが、ごちゃまぜになって出てきた言葉が、
「お義母さん、生きている意味があるの?」だったのだと、私は理解しています。


確かに、私の父方の祖母は、
・友だちがいない
・趣味がない(暇つぶしに読書やドラマ鑑賞)
・いわゆる「社会貢献(労働やボランティアなど)」していない
・家族に貢献していない(家事、労働、金銭援助など)
というふうに見えるかもしれません。

でも、昭和1ケタ生まれの女性は、
・裕福で働く必要がない
・貧乏で働く必要がある
の2択で、私の祖母は前者でした。
このため、私の母がパートに出て働くことが分からないのだと思います。

また、現代と違って、男尊女卑もあり、女性に意見は求められません。
だから、私の祖母は受け身的に、
「趣味や仕事など、自分の世界を持たない人生」がスタンダードだと思っており、
彼女は彼女なりに満ち足りた人生だったと思います。

加えて、人生の悩みの大半は人間関係といわれているので、
友だちがいないことで、かえって幸せになるケースもあると思います。

そして、私の祖母は自立していました。
・子ども世代に頼らなくても十分な資産と年金
・(まずいし下手だけれども)料理も家事もできるから死なない
だから、私の母の家事や労働について、純粋に
「なんとも思っていなかった」のだと思います。

そんなふうに考えると、母が「意味がない」「価値がない」
という私の祖母の人生は、祖母なりに「十分」「支障がない」もので、
私の母ほど頑張らなくても祖母が生きていけるという現実を、
私の母は、彼女なりに、理解はしていたと思います。

だから、私の母は、そんな私の祖母をうらやましいと思いつつ、嫉妬し、
自分の境遇と比べては、悔しかったのだと思います。
・夫は要領が悪くて、仕事がうまくいかなくて貧乏
・夫の両親に頼って(同居して)、家賃を浮かせないと生きていけない
・いつでも子ども世代を捨てられる義両親と、
 親に頼らないと生きていけない自分たち

自己責任、と自分を責めるのも悔しい。
でも、自分を認めてほしいと、周りの人に素直に言えない。


このようなモヤモヤがあったため、自分の話を何でも聞いてくれる娘に、
「生産性のない義母は生きている価値なんてない」という話を
延々と聞かせていたのだと思います。
自分で自分に言い聞かせるように、
そして、「だから、頑張っている自分は偉い」と婉曲表現で自分を褒めるために。

でも、その結果、私は、「生産性のないこと=余暇=悪」という刷り込みを
20年近くされてしまうことになってしまいました。
だから、「自由な時間」に罪悪感を感じてしまうのだろう、と。



私は、いま、「自由な時間」があるということは、素晴らしいことだと思います。
自分が頑張ったからこそ、手に入れられた余暇だと、思っています。
・仕事ができるから、残業の多い部署に送られても、
 自分の仕事が原因で残業をしたことがない
 (前任が月300時間残業、自分は前任の2倍量仕事をしても
  100時間残業で終わらせられる)
・目先の誘惑に負けなかったから、貯金ができた
・投資の勉強をしたから、貯金を有効に生かして、
 投資でお金を増やすことができた
・お金があるから、乾燥機や掃除ロボといった家電や、
 時短になる掃除道具を導入することができた

いま、労働を減らして、自由時間・余暇を増やしたいと考えております。
いつかは、投資のお金の規模を大きくして、
不労所得で余暇も楽しめるくらいにできたらななんて思います。

いまも、「好きだから仕事をしている」けれども、
「趣味で仕事をしている」レベルまで、仕事に頼らない人生を歩めたら、
本当に気が楽だと思っています。

いま、95%くらい、罪悪感なしで余暇を楽しめている自分がいますが、
もう少し、余暇を楽しめる、ゆとりのある自分になりたいと、考えています。



仕事をして、時間をやりくりして、余暇を作って
という流れの中で、私は、毒母・毒祖父母を反面教師として、
以下の点に気を付けながら、幸せに生きていきたいと思います。


・他者への感謝を忘れない
 そもそも、私の祖父母が、私の母を労っていれば、
 私の母が「自分は偉い⇒祖母は偉くない⇒余暇は悪い」
 という刷り込みを、私にすることはなかったのではないかと思います。


・自分のために行為をするのであって、「他者のため」は利己的だと考える
 自分がしたいからであって、「相手のため」は詭弁だ、
 自分のニーズを満たすためなのだ、ということについて、
 私は肝に銘じたいと思います。

 私の母は「義両親をケアしている」と思い、
 祖父母は「子どもたちを養っている」と思っていました。
 お互い、相手のために何かをしているように見えて、
 結局は、自分の社会的体裁や、誰かよりも上位に立ちたいという欲求を
 満たすための利己的な言動をしていたから、
 認識に食い違いが生じたのだと思います。


・経済的に自立する
 なぜ、私の母が、苦しい思いをして家庭生活や家族にしがみついたかというと
 ・結婚当初の私の父の収入に甘んじて、仕事を辞めたため、
  キャリアを積めなかった
 ・キャリアアップにつながる資格を取らなかった
 ・私の伯父(母の兄)に遠慮して、父方の祖父の遺産相続を放棄した
 といった事情で、お金がなかったからでした。

 たとえば、私の曾祖母と祖母は仲が悪かったので、ほぼ絶縁でした。
 さらに、私の叔母は両親(私の父方の祖父母)と一時期絶縁していました。
 私の母と異なり、「嫌なら家族でも距離を取る」ということができたのは、
 彼女らが経済的に依存しなくても、生きていけたからでした。

 このようなことを考えると、できるかぎり、
 手に職を持ったり、お金を得られるチャンスを活かしたりしながら、
 自分は、誰かに経済的に依存せずに、生きていけるようにしたいと思います。


・「家族だから」と、無理して付き合わない
 「家族」であっても、
 ・血がつながっている ⇒ たまたま、その家に生まれた
 ・結婚をした ⇒ 伴侶を除けば、結局は「他人」。たまたま、家族になった
 という、「たまたま」のご縁だと思います。

 たとえば、たまたま同じ地域に生まれた子どもだからといって、
 学校にはいろんな家庭環境の子がいて、みんながみんな、
 仲が良いわけではないですよね。

 「家族」だから、という幻想にとらわれず、
 「理解しよう」「尊重しよう」という姿勢を忘れずに、
 それでも、本当に無理なら、お互いが心地よく過ごせる
 「距離感」を取りながら、いいお付き合いをしていきたいと思います。


・自分と他者を比べない
 私の母が、祖母を批判したのは、自分を認めてほしいという気持ちのほか、
 私の祖母と母自身を比較して、祖母の境遇が「うらやましい」という
 気持ちもあったのだと思います。

 置かれた環境や条件は人によって違いますし、
 各々の人生に、各々の幸福と不幸があり、
 個人の感じ方・受け止め方も違います。

 隣の芝生は青く見えてしまいますが、
 自分の人生の色合いをありのまま、受け止められるようになりたいと思います。


・余暇があることに幸せを感じ、余暇を大切にする
 余暇は、本当に貴重です。社会人になって、本当にそのように思います。
 通常、家事や労働に時間をとられてしまうので、
 余暇があるということは、幸せなことです。

 まだ、100%、余暇への罪悪感が消えたわけではありませんが、
 余暇を心から楽しみたいと思います。
 また、私の母のように、自分よりも余暇時間がある人を妬むことなく、
 穏やかな気持ちで過ごしたいと考えています。



今年の夏は、旅行やイベントは自粛をするよう、要請されています。
いつも以上に、ゆったりとした時間が多いと思います。
この穏やかな時間に感謝して、心から楽しみたいと思います。

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