小ネター絶縁で親も幸せ?ー
こんにちは。
今日は、小ネタということで、
「絶縁で親も幸せ?」というテーマでお話しします。
2019年9月に毒母と別居し、10月に私は電話番号を解約しま した。
もう、親と別々に暮らして9か月、音信不通になって8か月です。
絶縁したばかりの頃は、「親、めっちゃ憎んで、怒って、泣いてい るかも」
と、恐怖を抱いていましたが、最近は、
「案外、幸せなんじゃないかなぁ」とも思ったりします。
私、毒母からこんなことを日々言われていました。
・こんな生活、楽しくない。
・気を遣ってばっかり。
・なんで、分かってくれないの。
・情けない母親で悪かったわね。
・あんたのために、苦労したり、我慢したりしたのに。
罪悪感を煽られるたびに、
私は、生きていることが申し訳なかったです。
出来の悪い娘で、ごめんね。
・私の相続のために、舅・姑と同居しなくていいのに。
・私の世間体のために、ブラック企業で無理に正社員を続けなくて いいのに。
・相続も世間体も、私はこだわらないのに、
こだわっているお母さんの気持ちを分かってあげられなくて、ごめ んね。
・楽しませてあげられなくて、ごめんね。
楽をさせてあげられなくて、ごめんね。
もう少し私にお金があれば、気前よくお母さんにお金をあげられた かな…。
もう、自分を責めてばかりで、私もつらかったです。
母と別居して、私は、とても楽になりました。
毎日のように、罪悪感を煽る人はいない。
申し訳ないという思いを抱きながら、生きる必要がない。
そして、「私の母も、幸せなんじゃないかなぁ」と思いました。
不満な存在でしかない、出来の悪い娘と縁が切れて、イライラしな くて済むし。
きっと、お母さんは、幸せなんじゃないかな?と。
母と離れて、落ち着いて、淡々と考えると、また別の世界が見えて きました。
私は、40代半ばで亡くなった父の、晩年の給与を上回るお給料を 、
社会人1年目にして、勤務先から頂いていました。
でも、それは、私が特別に高給取りというよりも、
父が、低賃金だったからなんです。
父の給与では、家を借りて、家族3人で暮らすことは、金銭的にム リです。
だから、両親は私の父方の祖父母と同居せざるを得なかった。
父の生前、祖父母との同居が必要だったのは、私の両親の問題。
それを、私が背負う責任なんてない。
父が亡くなった後、相続に固執したのは、私の母の問題。
それを、私が背負う責任なんてない。
私の収入が多かったから、私の名義でマンションを借りて、
大嫌いな舅・姑との同居から、母を解放できた。
それでも、「楽しくない」「気を遣う」と言う。
父の生前、母は父に、私に対して言ったような、ひどいことを、
言っていただろうか…?
そう考えて、腑に落ちました。
そっか、お母さん、私のこと、祖父母と同じくらい、嫌いだったん だろうな…。
夫(私の父)のことは、大好きだった。
だから、夫のために、大嫌いな舅・姑、可愛くない娘のことは我慢 できた。
夫が死んだら、舅・姑や、娘について、我慢ができない。嫌いだか ら。
嫌いな私と同居しているから、私との同居が、
「楽しくない」し「気を遣う」し、不満だらけだったんだろう。
そんな、大嫌いな私と絶縁出来て、母も、幸せなんじゃないか…。
それに、母は、「自分は悪くない」って、思い込むことが出来る。
不出来で可愛くない娘が、親への恩義を忘れて、親を見捨てた、
そんな不義理な娘が、100%悪い、と。
大嫌いな娘と絶縁出来て、娘が100%悪い、という安全地帯に逃 げ込むことができる。
きっと、母は幸せでしょう。
心穏やかに暮らせているんじゃないか…。
最近、
・罪悪感で苦しんでいたのは、私だけだったりして。
・お母さんが、幸せに暮らしていてくれたらいいな…。
と思います。
絶縁したからこそ、「幸せにしてあげられなくて、ごめんね」とい う
罪悪感とは別の次元で、「母に幸せになってほしい」と、
他者に対するような、客観的な気持ちで、思うことが出来ました。
たまたま、私は、彼女の体から、この世に生まれ出てしまったけれ ども、
それさえなければ、家族として、無理に一緒に暮らすこともなかっ ただろうし、
こうやって長期間離れてみると、家族として苦しみながら一緒に暮 らした日々は
なんだったんだろう? と思ったりします。
関係ない他者として、離れたからこそ、
まるで、「テレビ番組で見た他者に対して、「その後もお幸せに」 と思うような感覚」
と同じレベルで、「お幸せに」と思えるんです。
他人だからこそ、どうでもいいレベルで、どうでもよく、
幸せになることに対してニュートラルにお祈りできるんです。
絶縁して、時間が経てば、経つほど、
心が穏やかになっていくことに、感謝する日々です。
今日は、小ネタということで、
「絶縁で親も幸せ?」というテーマでお話しします。
2019年9月に毒母と別居し、10月に私は電話番号を解約しま
もう、親と別々に暮らして9か月、音信不通になって8か月です。
絶縁したばかりの頃は、「親、めっちゃ憎んで、怒って、泣いてい
と、恐怖を抱いていましたが、最近は、
「案外、幸せなんじゃないかなぁ」とも思ったりします。
私、毒母からこんなことを日々言われていました。
・こんな生活、楽しくない。
・気を遣ってばっかり。
・なんで、分かってくれないの。
・情けない母親で悪かったわね。
・あんたのために、苦労したり、我慢したりしたのに。
罪悪感を煽られるたびに、
私は、生きていることが申し訳なかったです。
出来の悪い娘で、ごめんね。
・私の相続のために、舅・姑と同居しなくていいのに。
・私の世間体のために、ブラック企業で無理に正社員を続けなくて
・相続も世間体も、私はこだわらないのに、
こだわっているお母さんの気持ちを分かってあげられなくて、ごめ
・楽しませてあげられなくて、ごめんね。
楽をさせてあげられなくて、ごめんね。
もう少し私にお金があれば、気前よくお母さんにお金をあげられた
もう、自分を責めてばかりで、私もつらかったです。
母と別居して、私は、とても楽になりました。
毎日のように、罪悪感を煽る人はいない。
申し訳ないという思いを抱きながら、生きる必要がない。
そして、「私の母も、幸せなんじゃないかなぁ」と思いました。
不満な存在でしかない、出来の悪い娘と縁が切れて、イライラしな
きっと、お母さんは、幸せなんじゃないかな?と。
母と離れて、落ち着いて、淡々と考えると、また別の世界が見えて
私は、40代半ばで亡くなった父の、晩年の給与を上回るお給料を
社会人1年目にして、勤務先から頂いていました。
でも、それは、私が特別に高給取りというよりも、
父が、低賃金だったからなんです。
父の給与では、家を借りて、家族3人で暮らすことは、金銭的にム
だから、両親は私の父方の祖父母と同居せざるを得なかった。
父の生前、祖父母との同居が必要だったのは、私の両親の問題。
それを、私が背負う責任なんてない。
父が亡くなった後、相続に固執したのは、私の母の問題。
それを、私が背負う責任なんてない。
私の収入が多かったから、私の名義でマンションを借りて、
大嫌いな舅・姑との同居から、母を解放できた。
それでも、「楽しくない」「気を遣う」と言う。
父の生前、母は父に、私に対して言ったような、ひどいことを、
言っていただろうか…?
そう考えて、腑に落ちました。
そっか、お母さん、私のこと、祖父母と同じくらい、嫌いだったん
夫(私の父)のことは、大好きだった。
だから、夫のために、大嫌いな舅・姑、可愛くない娘のことは我慢
夫が死んだら、舅・姑や、娘について、我慢ができない。嫌いだか
嫌いな私と同居しているから、私との同居が、
「楽しくない」し「気を遣う」し、不満だらけだったんだろう。
そんな、大嫌いな私と絶縁出来て、母も、幸せなんじゃないか…。
それに、母は、「自分は悪くない」って、思い込むことが出来る。
不出来で可愛くない娘が、親への恩義を忘れて、親を見捨てた、
そんな不義理な娘が、100%悪い、と。
大嫌いな娘と絶縁出来て、娘が100%悪い、という安全地帯に逃
きっと、母は幸せでしょう。
心穏やかに暮らせているんじゃないか…。
最近、
・罪悪感で苦しんでいたのは、私だけだったりして。
・お母さんが、幸せに暮らしていてくれたらいいな…。
と思います。
絶縁したからこそ、「幸せにしてあげられなくて、ごめんね」とい
罪悪感とは別の次元で、「母に幸せになってほしい」と、
他者に対するような、客観的な気持ちで、思うことが出来ました。
たまたま、私は、彼女の体から、この世に生まれ出てしまったけれ
それさえなければ、家族として、無理に一緒に暮らすこともなかっ
こうやって長期間離れてみると、家族として苦しみながら一緒に暮
なんだったんだろう? と思ったりします。
関係ない他者として、離れたからこそ、
まるで、「テレビ番組で見た他者に対して、「その後もお幸せに」
と同じレベルで、「お幸せに」と思えるんです。
他人だからこそ、どうでもいいレベルで、どうでもよく、
幸せになることに対してニュートラルにお祈りできるんです。
絶縁して、時間が経てば、経つほど、
心が穏やかになっていくことに、感謝する日々です。