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はじめに(番外編)ー管理人の絶縁年表ー

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私の絶縁までの歩みについて、年表の形式でまとめます。 私の生活の状況が変わりましたら、随時更新をする予定です。 これから、毒親問題についてお悩みの方や、毒親との絶縁について検討される方にとって、参考になりましたら幸いです。   年 表   ※2023年7月更新 1993年8月 母の実家の茨城県で生まれる。直後に、両親が住む東京都内のマンションへ転居。 (成人してから思い返すと、幼少期から母親からの虐待にされされていましたが、この頃は違和感を抱きつつも比較的普通に生活していました) 小学校1年生(2000年) 父の実家(東京都世田谷区)へ転居。 父方の祖父母と両親と私、5人での生活。家庭環境悪化。 家族と時間をともに過ごすことが苦痛だけれども、子どもでお金もないので、図書館か自室にこもって読書ばかりしておりました。(読書なら引きこもっても怒られなかったので) 正直、「死にたい」と希死念慮を明確に抱き出したのは、この頃からでした。 それから、毒親と絶縁するまで20年ほど「死にたい」「消えたい」と思っていました。 高校1年生の春休み(2010年3月) 父が急性くも膜下出血で急死。家庭崩壊。 父が亡くなった数ヶ月は「DV夫のハネムーン期」並みに穏やかだったけれども、6月頃から家庭が毎日戦場なくらい荒れ模様。 高校2年生の春休み(2011年3月) メンタル不調の母とともに、祖父母の家を出ようとしたところ、祖父母に勘当される。 祖父母と別居し、母・娘で暮らす。 高校3年生の終わり(2012年) 大学受験成功。 世間体を気にした祖父母が、同居再開を希望し、再同居。 大学3年生(2014年頃) 母が、新興宗教の信者の男性と結婚を前提に交際を開始(母は交際相手と半同棲)。 母が遺族年金の不正受給を始める。 大学4年生(2015年頃) 試験に合格し、在学中に就職先が決まる。 2019年1月下旬(社会人3年目終盤、25歳) 祖父母との別居を開始。 私の名義で2DKのマンションを借り(世田谷区内。毒祖父母宅から徒歩20分)、母に一部屋貸す。 なお、住民票をマンションに移そうとしたところ、母が「相続で不利になる!!」と思い込み&激怒したため、住民票は数カ月、祖父母の家のまま。 2019年4月下旬(社会人4年目) 母からの、暴力・暴言・脅迫・搾取が激化。 近い将来に母と絶縁することを本格的に検

出産しました 〜毒親育ちの女が母親になりました

7月に娘が生まれました。 抱いたときの繊細さと、泣き声の力強さと、とてもとても重い命の重みに、 なんとも言えない、感情が揺れ動いて涙が出るような思いが込み上げました。 まだ、娘の母になったばかりですが、 「親だから、命や安全に責任がある」ことは当然であるものの、 「この子らしさを大切にしたい」という気持ちが強いです。 とはいえ、まだまだ、赤ちゃんなので、まずは授乳、沐浴、おむつ交換など、 生命の維持からですが…笑 これから、ちょっとずつ、 夫と娘と「家族」になっていくことが、とても楽しみです。 【毒親育ちであることについて】 結婚や妊娠を公表してから、 ・毒親育ちだと、家庭を持つことが怖くないですか? ・毒親育ちだからこそ、子育てについて思うことはありますか? と尋ねられることが増えました。 「毒親育ち」という文脈で尋ねられるならば、 ・虐待の連鎖には気をつけている ・毒親のような親にはならないように考えている と答える形になります。 でも、普段は、「毒親育ちだから」というフレームでは、私は考えていません。 毒親と絶縁して、そろそろ4年です。 毒親の不幸な考え方や生き方の呪縛から解き放たれて、幸せに生活できるようになって、 生活のあらゆる場面から「毒親育ちだから」という前置きが取れました。 だから、 ・親として当たり前に、真っ当な人間でありたい ・子どもを育てられて嬉しい ・子どもを幸せにしたい ・子どもの幸せを応援したい という気持ちです。 このため、娘が生まれた、いま、 純粋に「嬉しい」「この子がかわいい」という気持ちが、胸の中にあります。 (もちろん、人並みに「こどもの命を預かるって責任重大」という気持ちもあります) 【今後の記事執筆予定】 気持ち的には、純粋に「嬉しい」なのですが、 事実として「親と絶縁した=里帰り等の実家のサポートがない」ので、 その点をどう工夫して「毒親育ちの妊娠・出産・子育てを対応していくか」ということについては、 ライフハックとして共有できるかな、と思うので、 後日、記事としてまとめたいと考えております。

葬儀どうする? 〜疎遠にしていた祖母が亡くなりました

絶縁していた毒実家(父方)の祖母が亡くなりました。 よく、毒親育ちの方から、「冠婚葬祭はどうするのか」というご相談をいただくので、 今回、祖母が亡くなったときにしたこと・考えたことをまとめました。 ※相続関係の手続きや、考えたことについては、別の記事にまとめる予定です(手続きの進捗次第ですが、2023年の年末に記事化の見込み) 1.祖母との最近の距離感 2.祖母に対する気持ち 3.毒親・毒家族の葬儀への出欠席の判断基準(案) 4-1. 祖母について、私はどうしたか 4-2.毒母の場合はどうしたいか(参考) 5.祖母とお別れをして思ったこと 6.今後の親戚付き合いについて考えていること 7.振り返り 8.毒親育ちの方へのメッセージ 1.祖母との最近の距離感 祖母とは2019年1月に絶縁しました。 夫の希望(結婚式に祖父母を呼びたい)があり、2022年秋に会い、 2023年1月の結婚式に呼びました。 また、2023年4月に、私の叔母(父の妹)の新居(2つ目)のお披露目パーティーがあり、その際に少し挨拶をしました。 それから2か月後の6月頭に、祖母は亡くなりました。 2.祖母に対する気持ち 縁を切ったときから4年経過し、気持ちが落ち着いており、穏やかな気持ちです。 縁を切る前は、祖母に対して怒りがありました。 ・他の孫と比べると、可愛がってもらえなかった(いわゆる「孫差別」) ・祖父に同調していた ・私の母(毒母)の悪口を言われた ・毒母と折り合いが悪く、結果的に、伯母(父の姉。故人)と一緒に私の母をいじめる形になり、母の「毒母化」を加速させた とは思いつつも、毒母や祖父ほど加害性は強くないので、 どちらかというと、「縁を切ってしまっていいのだろうか」と悩んだ相手ではあります。 似たような毒家族問題で例えるならば、「毒親の言動を傍観したり、ちょっと自分をいじめていた兄弟に対する気持ち」 職場で例えるならば、「上司のパワハラを傍観したり、ちょっと自分に嫌がらせをしてきた同僚に対する気持ち」 学校で例えるならば、「いじめを傍観したり、ちょっと自分をいじってきたクラスメイトに対する気持ち」 に近いかもしれません。 積極的に好きにはなれないけれども、嫌いになるほどの熱量はない相手。 世代が世

NHKのドキュメンタリー番組への協力

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撮影に協力したNHKのドキュメンタリー番組「ナンブンノイチ 4分の1のヒトって? 母親が“毒親”」が2023年6月13日に放送されます。 ※過去の放送については こちら を参照。 【取材の経緯】 2023年4月に番組のディレクターの方から取材のお申込みをいただき、プロデューサーとディレクターのお二方とお会いした上で、同年5月に撮影に協力しました。 私の相談会をご利用されたことのある毒親育ちの方にも、撮影にご協力いただきました。 【思ったこと】 このサイト(ブログ)は、いまでこそ本の出版もあって多くの方にご覧いただいていますが、当初は細々活動していましたし、 マスメディアで毒親について語ることを求められる日が来るなんて、思いもしませんでした(しかも自分が)。 「毒親について公言していいんだ」と ちょっとでも、毒親育ちの方を勇気づけられたらいいな、と思います。 【ご案内】 簡単にLINEでも相談できます。 2024年1月には、LINEのお友だちが550人を超えるなど、多くの方が相談先として選んでいます。

「生きづらさ」からの脱出4ステップ

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【ご案内】 簡単にLINEでも相談できます。 2024年1月には、LINEのお友だちが550人を超えるなど、多くの方が相談先として選んでいます。 この記事を書いている現時点(2023年4月)で、 ・2019年1月に、私が毒実家を出てから4年 ・2019年10月に、毒家族と完全絶縁してから3年半 ・2020年3月に、毒親育ちさんからの相談を受け付け始めてから3年 が経過しています。 これまでの蓄積を踏まえて、毒親育ちの生きづらさから脱する方法を シンプルに4つのステップ でお伝えします。 《4つのステップ》 【ステップ1】「毒親」という言葉を知る (達成期間…意識した直後〜数十年) 人によりバラつきがあります。 「私の親って、なんか変」と気づいてから、 昨今はインターネットでの調べ物が手軽になったので、 すぐに「毒親」という言葉と出会える方が増えてきています。 しかし、そんなブームが来る前から違和感を感じていた方は、 長い時間をかけて、「毒親」という言葉と出会われる傾向にあります。 このブログに出会えた方は、このステップは既にクリアされています。 【ステップ2】自分の親が「毒親」だと認識する (達成期間…「毒親」という言葉と出会った直後〜数十年) これも、人によりバラつきがあります。 「毒親」という言葉と出会ってから、 即座に「私が生きづらいのは、全部毒親のせい!」とアッサリと次のステップに行かれる方もいます。 しかし、「自分の親を毒親だと言ってしまって良いのだろうか…」と、 長いこと、罪悪感を抱いて、悩まれる方もいます。 (私もこちらのパターンでした) 毒親から、「あなたのため」とマインドコントロールを受けたり、罪悪感を煽られたりするような、 マルトリートメント(誤った養育)を受けた方は、 どちらかというと悩む期間が長い傾向にあります。 【ステップ3】毒親にされて嫌だったことと向き合う (達成期間…1か月〜一生) 人によりかなりバラつきがあります。 そして、ステップ4に進めず、一生ここで止まる方(止まると思われる方)もいます。 端的に言うと、毒親の言動を「憎み」「怒り」「悲しみ」「嘆く」時期です。 この時期を経て、「じゃあ、どうやって幸せに生きる

【絶縁3年半の真実】毒親や毒祖父母は、時間が経つと変わるのか?

毒祖父母を結婚式に招いたことを、結婚式に関する記事に記載したところ、 「毒親や毒祖父母は、時間が経つと変わりますか?」というご相談がありましたので、 私の場合と、それを踏まえた私の考えをまとめました。 ※この記事においては、毒祖父のデリカシーのない発言(特に、妊娠や不妊治療に関するもの)に関する言及がありますので、その手の話題が苦手な方は、この記事を読まない方が無難です。 【背景】 私は、2019年1月に毒祖父母(亡くなった父親の両親)と絶縁しました。 2022年10月に、私の夫が「祖父母に会ってあげてほしい」「祖父母も結婚式に呼んだほうがよい」と言うので、嫌々会いました(笑) で、2023年1月の結婚式に、毒祖父母を招きました。 3年半以上絶縁したら、毒な家族はどうなるのか? という参考の一つになりましたら幸いです。 【絶縁後の毒祖父の姿】 以下は、私の披露宴での毒祖父の言動です。 たった2時間でこのヤバさを露呈しています(笑) ※楕円形のテーブルにて十数名で食事をしており、端に座らせた祖父の声は、真ん中に座る私にまで聞こえていました。 絶縁3年半後の毒祖父の姿を、5つのポイントに絞ってご紹介します(笑) 1.反省は上辺だけである 一応、「自分がゆうこちゃんに色々言ったから、ゆうこちゃんに疎遠にされてしまった」みたいな発言はするんです。 しかし、 ・ゆうこちゃんに期待していたからうるさく言った ・元はと言えば、ゆうこちゃんのお母さん(毒母)が悪い ・ゆうこちゃんは、自分のところに戻ってきてくれた(※戻ってません。いつでも再び完全絶縁できるように手を打っています) と、「だから自分は悪くない」と主張します。 余談ですが、私の叔母(私の父の妹)は20-40代のときにかけて、毒祖父母と絶縁しています。 が、そのことについて反省したのは一時のことで、いまでは「なんでそんなに厳しいこと言うの?君はキツイな〜」くらいのことを平気で言います(笑) まったく反省せず、歴史を繰り返しています(笑) 2.相手が嫌がることを平気で言う 毒祖父は、私のすぐ上の従姉(父の姉(故人)の子ども。長女・長男・次女の三人兄弟の次女)に ・まだ子どもができないのか ・いつ子どもができるのか と散々話題にしたそうです。

具体的な逃げ方(番外編)ー子どもが生まれる場合の住民票閲覧制限ー

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【重要】 2023年5月時点、こちらの手続き方法は最新です。(同年同月に住民票の閲覧制限の更新手続きをした際、手続きのやり方について自治体窓口に確認済) 【参考】 ・★基本★ 住民票閲覧制限の手続き について ・ 住民票閲覧制限の更新手続き について ・ 事実婚での住民票閲覧制限の手続き について ・ 法律婚での住民票閲覧制限の手続き について 【ご案内】 簡単にLINEでも相談できます。 2023年4月には、LINEのお友だちが450人を超えるなど、多くの方が相談先として選んでいます。 今回は、私が子どもを授かり、 生まれる子どもにも住民票の閲覧制限をかけることを決めたので、 役所に確認した手続きをご紹介します。 【あなたも含めて新規で住民票に閲覧制限をかける場合】 ①出生届を提出する ②子どもを含む家族全員の住民票閲覧制限の手続きを、夫婦揃って警察署と住んでる自治体の役所に行って行う (参考) 支援措置の手続き ただし、産後体調が悪い中、役所に行き、新規の手続きを全て行うことは非常に大変だと思います。 そこで、以下の手続きがオススメです。 【すでに世帯で住民票閲覧制限をかけており、子どもを追加で住民票の閲覧制限をかける場合】 (事前に…子どもが生まれる前に、夫婦の住民票に閲覧制限をかけておく) ①出産予定日よりも前に(目安は安定期〜予定日2か月前)、お住まいの自治体の役所に「子どもが生まれる」「支援措置の申請書類を自宅に郵送してもらえないか(あるいは、役所に取りに行くからそのときもらえないか)」と相談する ②お住まいのエリアを所管している警察署に、「子どもが生まれるので、子どもも支援措置の対象としたいが、どうすればいいか」と相談する ※軽微な変更のため来庁不要、という警察署もあれば、出産前に来庁を求める警察署もあります ③(出産からしばらくは妻が役所に行けないと思うので)妻が出産したら、夫が出生届の手続きに行く際に、記入済みの支援措置の申請書類と妻のマイナンバーカードのコピー(両面)を持参し、夫が支援措置(子の追加)の手続きをする ※自治体によっては、出生届を提出後、記入済みの支援措置の申請書類と妻のマイナンバーカードのコピーを郵送すれば、支援措置の手続きをしてくれることも