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絶縁後の生活ー2020年6月ー

こんにちは。 今日は絶縁後の生活ということで、 2020年6月の生活についてお話しします。 5月は、かなり意欲的に活動することができました。 家族との絶縁関係の活動ですと、 ・本を出版 ・ほぼ毎週、オンライン相談会を開催 ・特定定額給付金の記事を執筆 など、「頑張って活動したなぁ」というところです。 プライベートですと、 ・お休みしていた筋トレ&ダイエットを再開 ・お休みしていた語学学習を再開 することができました。 家族と絶縁した後、自分の今後の人生について考えたい点があり、 筋トレや語学を前向きに取り組めなかったので、4か月ほどお休みしていました。 好きなように食事もしていたり(笑) でも、絶縁してがむしゃらに頑張った最初の2か月と、 ぼーっと過ごしたこの4か月を経て、気持ちが落ち着きました。 「私、無条件に生きていていいんだな」と思いました。 今まで、家族にとって「いい子」でないと生きていてはいけない、 という状況だったので、 絶縁した後に、筋トレや語学学習を続けるがしんどかったんですよね。 ・私、それ、本当にやりたいの? ・「いい子」になろうとしていない? と、自分で自分に問いかけていました。 5月に本も1冊書いて(10万字近く執筆しました)、 日中にやるべきことをやって(仕事、勉強、家事) 夜に好きなこと(読書や映像鑑賞)をやっても時間が余り、 「やることないな」という境地に達した時に、 心底、筋トレしたい、語学学習をしたいって、思ったんですよね。 今まで、自分を追い立てて、追い立てて、やってきたので、 「お休みしたら、また、「やりたい」って思える日が来た」 というのは初めての体験でした。 あと5か月で、家族との完全絶縁をして1年になります。 その頃には、どんな自分になっているのでしょうか。

絶縁後の生活ー2020年5月ー

こんにちは。 今日は、絶縁後の生活ということで、 2020年5月の生活についてお話しいたします。 2019年10月に毒家族と完全に音信不通&絶縁して、 7ヶ月になりました。 月日はあっという間に経ちますね。 2019年末は、ふつふつと毒家族に対して 怒りや悲しみが込み上げることもありましたが、 いまはそういうことはほとんどなく、 「そういえば、私、絶縁しているんだっけ」と思い出す程度です。 先日のように、病院にかかって、 「手術するハメになったら、どうしよう」って思ったときくらいに、 「絶縁しているんだっけー、はは。手術の同意書は自分で書こう」ってくらいです。 「外出自粛」になって、人付き合いが変わった、 という話に関する記事、最近よく目につきます。 いま、気分転換にサウナやカラオケも行けず、 これまでだったら、インドア派の私も苛立っていたかもしれませんが…。 実は、苛立つことが、ないんです。 毒祖父母や毒母や毒伯父と絶縁したことで、 心にスペースのゆとりができたと思います。 ゆとりがあるから、ちょっと仕事で忙しかったりしても、 笑顔で過ごすことができて、苛立たない。 毒家族と絶縁したからこそ、自分の時間やお金を好きに使えて、 自分で自分のご機嫌をとってあげる余裕ができる。 そして、家族の束縛がなくなって、身軽になったからこそ、 落ち着いて1人で考えたときに、 「この人間関係、いらないかも知れないな…」と考えて、 交友関係のシンプル化を図ることができました。 (なんとなく断りづらい飲み会や、遊びのお誘いとか、  フェイドアウトできて、嬉しいです) 家族と縁を切って困らないのだから、 この知人とも縁を切って大丈夫、と思いきりがよくなりました。 毒家族、という人生の課題の大部分を解消できたからこそ、 他の課題についても向き合って、 人生を好転させることができている、と思っています。 さて、GW明けの仕事に向けて、 今日ものんびり、過ごしますか!

絶縁後の生活ー救急車で運ばれたけどオールオッケイ!ー

こんにちは。 今日は、絶縁後の生活ということで、 4月下旬に、私は救急車で運ばれたのですが、 「家族と絶縁していても、全然困らない」 ということを改めて認識した、というお話です。 実は、4月下旬、自宅で寝ていたある晩、 腹部の激痛で苦しみました。 ネットで調べると、痛みの度合いと痛み方から、 虫垂炎(いわゆる盲腸)の初期かもしれない…。 そう思い、救急車を呼んで、比較的近くの大病院に運んでもらいました。 血液検査、エコー検査、レントゲン検査の結果、 ・痛みが右下腹部に移動したら、虫垂炎 ・痛みがみぞおちに留まったら、蠕動痛(内臓が蠕動すると痛む病気) と、経過観察になりました。 結果的に、蠕動痛で自宅療養に。 幸い、1日仕事を休み、翌日からテレワークで復帰することができました。 痛む回数も、痛み方も、徐々に和らいできて、 療養の後半は、痛み止めはお守り程度になりました。 さて、病院に運ばれたときに、私は、 ・現金3万円 ・保険証 ・キャッシュカード ・クレジットカード を持って行きました。 (あと、上着、靴、めがね、スマホ、スマホの充電器も持って行きました) 理由は、 ・万が一、手術・入院になっても、お金の心配をしなくてもいいように ・その場で治療費を立て替えてくれる家族がいない ・後日、病院に行って費用を払うのは手間 でした。 最終的に、費用は、 ・初診料(深夜加算) 約2,500円 ・検査料 約4,000円 ・投薬料 約250円 ・注射料 約500円 ・救急搬送看護体制加算 約3,000円 などで、合計10,250円でした。 (職場の保険証提示で負担は3割なので、  無保険の方は3万円くらいかかるかもしれません) ちなみに、お会計はクレジットカード払い可 (クレカでも、保険適用代金だけ&手数料なし)だったので、 クレジットカードでお支払いしました。便利な世の中ですね。 さて。 点滴で注入した痛み止めが効いてきて、 ふと、思い出しました。 「もし、私が意識不明で手術することになっても、  同意書を書いてくれる家族はいない。  住民票を調べられて、家族を呼ばれたら、非常に困る」 そこで、看護師さんと医師に、状況を伝えた上で、お願いしました。

絶縁後の生活ー2020年4月ー

こんにちは。 今日は、絶縁後の生活ということで、 2020 年 4 月の生活についてお話します。 3 月末から、新型コロナウイルスが流行しております。 私は、「家族と絶縁してよかった」という思いを強めています。 汚くて備蓄食料もない毒実家にいなくてよかった、 なにをやっても感謝されない毒実家にいなくてよかった、と思っています。 いまの自宅が大好きなので、活動自粛でも、 家で過ごせる時間が増えて、幸せです。 強いて言えば、買い占めのせいでスーパーで好きな食材を買えないことが増えて 自炊のクオリティがちょっと物足りないとかですかね ( 笑 ) あとは、図書館がコロナで締まってしまったため、 本を無料で読めないことでしょうか。 まぁ、本はネットで売買したり、サブスクで読めてはいますが ( 笑 ) そんな、食事だとか、読書だとか、極めて平和な悩みだけなので、 とても幸せですね。 最近、私の毒家族(主に母、祖父、母方の伯父)はどんな人だったか? と思い出そうとすると、 彼らが私に怒鳴りつける声や、暴言を吐くときの顔の印象が強いです。 ひどい人たちだった、という認識です。 彼らの笑顔の写真を見ると、心苦しいことがありました。 「本当は仲が良かった?」「本当は幸せだった?」 と、自分の毒家族観に迷いが生じることがありました。 けれども、なぜ、彼らが笑顔だったかというと、 それは、私が、彼らが気に入るように、自分を殺しながら、生きていたからです。 私の心が死んだ状態でもたらされていた偽りの幸せに、 私が罪悪感を抱く必要はない、と考えています。 だから、最近は、毒家族に対して、罪悪感がありません。 とても、心穏やかに、幸せを享受しています。 毒家族と絶縁してよかった、と思います。

絶縁後の生活ー2020年3月ー

こんにちは。 今日は、絶縁後の生活ということで、2020年3月の生活につい てお話します。 昨年末から仕事が忙しく、今年も年明けから忙しい日々を過ごして います。 忙しいと、家族のことを思い出す時間が減りますね(笑) そろそろ、毒母と絶縁して半年なので、半年の心境の変化について お話したいと思います。 絶縁した当初は、母に対する罪悪感がありました。 絶縁から1,2か月の頃は、 ・親を捨てる私は親不孝? 私って鬼? 自分勝手? ・ひどいことをされても、相手は唯一無二の親なのに… ・親に対してひどいことをしてしまったのかもしれない と、罪悪感がありました。 この罪悪感を拭うために、これだけひどいことをされたんだと、 確認の意味も込めて、毒親体験記の執筆に励んでいたかもしれませ ん。 絶縁して3か月経ち、穏やかな暮らしに慣れてくると、 少しずつ、毒家族に対する怒りや悲しみが、和らいできたように感 じました。 でも、それは、気が張っていた状態だったのかもしれません。 絶縁から4,5カ月後、 ・私にも、毒親みたいな、人として嫌な部分がある ・毒親みたいになりたくない ・親にあんなひどいことをされた私には、心の傷がある… と、毒親家庭の傷のせいで、自分が毒親になってしまうのではない か、 虐待の連鎖を生んでしまうのではないか、といった不安で、心が不 安定になることがありました。 ちょうど、このとき、仕事や人生について考える機会もあり、 ますます、「他の人にとっては何でもない人生の岐路」が、私にと っては一大事になってしまい、 とても心が不安定になりました。 そして、絶縁から6か月目に入り、「自分は、あのとき、こんなふ うに不安だったんだね」 と過去の自分を客観視することができるようになりました。 振り子のように揺れる心、波のように満ち引きする心。 コントロールできるようでもあり、コントロールが難しい部分もあ り、 それでも、自分の心と向き合うよう、努めました。 最近、ひとりになる時間がとても大切であることに気づきました。 誰に対する気兼ねも遠慮もなく、自分の心と向き合う作業。 マインドフルネスの時間を持つことは、大切だな、と思いました。 そんな心の動きもあり、最近は、「やっぱり、親と会わない

絶縁後の生活ー2020年2月ー

こんにちは。 今日は、絶縁後の生活ということで、2020年2月時点の生活に ついてお話します。 毒親と絶縁したのは、2019年の秋のことでした。 絶縁したばかりの頃は、ちゃんと生活しなきゃと、 とても焦ってい ました。 それまで、親に気を遣って、自分のペースで生活することができな かったので、 「自由すぎる」生活に戸惑っていました。 冬になって、自分のペースで生活することに慣れて、 生活の基盤である家事も、気負いすぎずにできるようになりました 。 自由な生活も、当たり前の日々の光景になっていました。 穏やかな年末年始を過ごしたあと、年明けの多忙さも相まって、 疲れたときに「親に、あんなひどいことをされた」と、 ぶわーっと 思い出すことがあり、 1月は毒親体験記の記事を何本か書きました。 そして・・・忙しい日々に揉まれているうちに、 毒家族のことが頭から抜けていく、というか、 思い出す余地もない 、という状況になりました。 ふと、毒家族のことを思い出そうにも、結構、記憶が遠いんです。 もしかしたら、また、疲れたときに、 ぶわーっと思い出してしまう かもしれませんが、 けれども、いまの私には、親からされた出来事の記憶が遠い。 逆接的かもしれませんが、1月に、毒親体験記を何本か書いたこと で、 親からされたことを客観視して、記憶と距離を置くことができたの かもしれません。 毒家族で受けた傷は、確かに根深いし、 ふとした瞬間にトラウマと して吹き出します。 でも、ふつうに日常を送っている分には、 ぜんぜん大丈夫なんだな ー、と思う今日この頃です。 こんなに、幸せな気持ちになれるなら、 もっと早く毒家族と絶縁し ていればよかったな、と思います。 毒家族と暮らしているときは、家に帰るのが憂鬱で、 家で過ごしていると気分が重苦しくて、毎日が苦痛でした。 進学、就職、節目節目で一人暮らしをしようとすると、 家族に妨害 されました。 でも、いまは、帰宅するのが楽しみで、家で過ごす時間が楽しみで 、 だからこそ、仕事にも張り合いがあるんです。 本当に、絶縁して、よかったです。

絶縁後の生活ー2020年1月ー

こんにちは。 今日は、毒家族との絶縁後の生活についてお話します。 毒親と絶縁して数カ月が経ちました。 絶縁直後は、「許せない」という怒りや、「なんで」という悲しみで、 気持ちが乱高下することがありました。 朝、掃除をしていたら、ふつふつと毒家族への怒りが沸き上がってくることもありました。 でも、この年末年始、穏やかに家でのんびりと過ごしていた、 悪く言えば「ヒマ」で考える時間はたっぷりあったはずなのに、 不思議と、怒りも悲しみも、湧いてきませんでした。 むしろ、「あれ? 私って、絶縁していたんだよね?」とたまに気づくくらい。   絶縁直後は、「あんなひどいことをされた」と憤り、嘆いていたはずなのに、 「ひどいことをされていたのよね?」と確認するかのように、 このブログの過去の記事を読んで、「こういうことをされたんだったよな」と思い出していました。 そう、毒家族と離れ、穏やかで楽しい時間を過ごすうちに、 ネガティブなことを、忘れつつあったのです。 確かに、まだ、完全には忘れていません。 でも、あれだけ頭のハードディスクを喰い、ワーキングメモリを重くしていた 毒家族と離れているうちに、毒家族のことを忘れつつあったのです。 その事実に気づき、一瞬、 「慣れ親しんできた状況(=不安でいっぱいの日々)と違うから不安」 という不安が芽生えてきて、「危ない、危ない…。毒家族で培った、 不安がないとかえって不安、という残念なプログラミングが抜けていないぞ」 と自分に一人ノリツッコミしました。 毒家族が私の人生や人格影響に与えた影響は、計り知れない。 けれども、少しずつ、影響が抜けてきている。 きっと、大丈夫。私なら。 傷がかさぶたになって、かさぶたが薄い皮膚になって、 皮膚の色の違いが馴染んでいくように、きっと、 いまの「ちょっとした違いに対する違和感」も、そのうち気づかないくらい薄まるだろう。 そう信じて、穏やかな日常を、ありがたく享受していきたいと思った年頭でした。

絶縁後の生活-令和最初の年末年始-

あけましておめでとうございます。 今日は、絶縁後の生活ということで、令和最初の年末年始について、お話します。 一言で表すと、「穏やかで幸せだ~」という感想です。 絶縁前は、お正月があまり好きではありませんでした。 年末は、父方の祖父母の家がバカでかい上にモノが多く、 掃除をするのに忙殺されていました。 元旦2日目には、伯母ファミリー(父の姉の家族)が来るのですが、 伯母に気を使ってストレスがたまった母が、元旦明けには私に愚痴を言いまくりました。 元旦シーズンは祖父母がいとこを特に溺愛するので、 「なんで、私のことは雑に扱うのに…」と、悶々としていました。 父の死後は、「元旦に家にいたくない」という母の希望もあり、 ・漫画喫茶で連日過ごしたり ・母親の彼氏の家に泊まったり ・海外旅行をして、言葉も地図もダメな母のお世話をしたり と、母に気を使うばかりで、家でゆっくりするということができませんでした。 絶縁したら、ガラっと変わりました。 まず、私はミニマリストなので、掃除や手入れをするものが少なく、 掃除に忙殺されるということがありませんでした。 年末は、友人と美味しいしゃぶしゃぶやフレンチに行き、 家で大好きな冷たいお蕎麦をもりもり食べて年越しし、 元旦はプチファスティングをして、年末の飲み会による胃腸の疲れを癒しました。 さて、年明けは友人と、どんなグルメを味わおうか。 オトナの女になると洒落込んで、お洒落なレストランで優雅に一人ランチもいいですね。 家でのんびりとテレビをみたり、読書をしたり、資格試験に向けて勉強したり。 仕事をしていると、なかなかまとまった時間を取ることが出来ないので、 毒家族に気を使うこともなく、自分の夢に向かって時間を使えるって、素晴らしいですね。 受験の時ですら、毒家族と家庭環境で心が休まることがなかったことを思い返すと、 時間を自己投資のためにフルで使えることに感動しました…!! 絶縁前は、「絶縁したら帰省先がなくなるな」「年末年始、さみしくなるかな」 「年末年始を家族と過ごさない私って、親不孝だろうか」 と不安が頭をよぎることもありましたが、そんなことはありません