小ネター毒親と音信不通にして1年ー
こんにちは。
今日は、小ネタということで、
「毒親と音信不通にして1年」というテーマでお話しします。
2019年10月に、携帯電話番号を解約し、
毒親及び毒祖父母との連絡を絶ちました。
彼らと音信不通になってから、1年になりました。
毒祖父母については、「嫌い」という気持ちがはっきりしていたので、
音信不通になることについて迷いはそんなにありませんでしたが、
毒母との連絡をどうするか、ということについて、最後の最後まで迷いました。
特に、音信不通にする前は、とても悩みました。
・住まいは教えたくない。
・でも、何かあった時のために、
電話番号くらいは教えておいた方がいいのではないか。
・電話番号すら教えない自分は、本当に薄情な人間かもしれない…。
けれども、いま思えば、電話番号を解約して、
音信不通になってしまって、本当に良かったと思っています。
「何かあった時」は、2種類で、
一つは、毒親に何かあった時、
もう一つは、自分に何かあった時、です。
でも、毒親に何かあった時、たとえば、
死んだ、生活保護を受給、介護が必要…といったシーンでは、
毒親が住んでいる自治体から、私が住んでいる自治体に連絡が来て、
自治体の方から情報を知らされます。
だから、私と親が連絡を絶っていても、困りません。
また、自分に何かあった時、たとえば、
保証人が必要、お金が必要…といったシーンが考えられるかもしれませんが、
(これは、人によって価値観は違うと思いますが)
私は、「親=悪」として縁を切っているので、その手前、
何があっても親に頼らない、ということが、一つのケジメだと思っています。
加えて、親に頼ったところで、ひどい暴言を言われると思うので、
頼る気はありません。
だから、親と連絡できても、何も意味がありません。
このようなことを踏まえ、
「何かあった時」を念頭に置いて連絡先を交換するということを
避けてよかった…と今は考えています。
親と連絡を絶つことは薄情か?ということについては、
とても悩みました。
罪悪感との戦いでした。
でも、連絡先を保ったところで、良いことはありません。
母に引っ越し先を告げずに転居した後、
母から怖い内容のショートメッセージが送られたときには、
「怖っ」「面倒くさっ」「これが続くのは嫌だなぁ」と思いました。
電話を解約した時は、
「ごめん、教えそびれた、って言えば許してくれるかな…」と
伝えたい気持ちと戦っていましたが、いま考えると、
連絡先を教えても、たぶん、怒られていたと思います。
1年連絡を絶ってみると、本当に心が穏やかです。
過去、家族からされたことに関する記憶も、遠くにあるように感じます。
確かに、家庭で歪んでしまった認知や価値観については、
これからもじっくりと向き合っていく必要はあるのですが、
「もうこれ以上、ひどいことをされない」という事実が、
私に安心感を与えてくれました。
私が、「よかったな」と思うことは、
自分で悩み、考え、決断を下したことです。
「あのとき、誰かにこう言われたから」では、きっと、
気持ちが揺らいでいたと思います。
だから、
・自分は、どんな生活を送りたいのか。
・連絡を絶つことで、支障はあるか。
ということについて、考え、自分の決断で連絡を絶ちました。
あのとき、誰かのアドバイスに頼らなくて良かった、と思います。
この、「だれにも頼らず、決断を下した」ということは、
私にとって、自信につながっています。
心のどこかで、「誰かに相談をしたり、愚痴を言ったりするのは、毒親と同じ」
という気持ちがありました。
だから、誰にも相談しませんでした。
私は、毒親と同じレベルまで堕ちなかったし、
そのうえで、自分の幸せを実現できた…。
それが、今の自分にとって、自信になっています。
これからも、力強く、自力で生きていきたいと考えています。