はじめに3-絶縁の経緯-

こんにちは。

どうして絶縁したのか?
絶縁について悩んでいる方の参考になれば、と思い、私の体験談を記します。
具体的なこと(年月日、場所等)は少しぼかして書かせていただきます。


【概要】
私は、思春期の頃に父を亡くしました。
父の生前から、父方の祖父母と暮らしておりました。
元々、母は父方の祖父母や父方の伯父・伯母と折り合いが悪く、
の死後は家庭内の人間関係が悪化。
結局、私が20代になり、私の生活力も上がったため、母と祖父母宅を出てみたのですが、
母の毒親度が緩和・改善されなかったので、私は毒母との縁を切ることにしました。


【少し詳しい話】
私は、家族仲が悪く、親族の縁が薄い家庭で育ちました。

私の父方の祖父母は、肩書(学歴、会社、家柄)で人を評価したり
自分たちにこびへつらう人には甘い人々です。
一方、母は良家の出身でしたが祖父母に気に入ってもらえず、
母の妙にプライドが高く、被害妄想の激しい性格も災いし、
母と祖父母の仲は悪化の一途をたどりました。

父方の祖父母は、伯母の産んだ子どもたち(私のいとこ)をかわいがり、
いとこ間の不合理な差別や、
伯母と比較した際の母に対する扱いのぞんざいさも相まって、
母は父方の伯母やいとこたちを嫌っていました。
父には妹(私の叔母)がおり、諸事情あって叔母は祖父母と距離を取っていましたが、
そんな叔母についても、母は嫌っておりました。
私は、幼少期は、やや父方の祖父母は変だと思いつつも、それでも祖父母ですし、
伯母やいとこたち、叔母のことも好きでしたが、
父方の親族のことを好きと言うと母に糾弾され、
父方の親族と距離を取らざるを得ませんでした。

一方、母方の親族は、祖父母が若くして亡くなっておりました。
伯父(母の兄)には子どもがいましたが、伯父が実質マスオさん状態だったため、
伯父の家にあまり遊びに行けず、母方のいとことは希薄な関係でした。
また、母は親族と疎遠にしていたので、他の母方の親族とも交流もありませんでした。

以上のとおり、私は家庭運にあまり恵まれない環境で育ちました。


亡くなった父は、優しいけれども、強くはない人でした。
祖母は男子の教育は祖父に丸投げで、父は祖父に厳しく叱られたそうです。
テレビを箱に入れて鍵をかけたり、口うるさく注意し、
理不尽に怒鳴り、人格否定をし、いわゆる教育虐待を受けたと、父から聞いたことがあります。
でも、父は祖父に反抗するほどの資力と胆力はなく、
祖父母の口利きで就職や転職をし、
「年老いた両親の面倒を見る」という名目で、実質、資産の無い父は祖父母と同居することで、
自由を失いながらも生きながらえている状況でした。

幼少期から思春期までの思い出は、家族でのドライブ。
延々と母が車内で祖父母の悪口を言い、父が話を聞くというものでした。

小学生だった時の、なかなか忘れられない、衝撃的な父の発言。
父と母と私の三人で外食をしたときのこと。
母はお酒で酔って、「私ってかわいそう」と、自分の不幸な話を延々と語っていました。
帰り道、千鳥足で歩く母の後方で父と二人で歩いていたら、父は私
「お母さんは、悲劇のヒロインぶるのが好きで、感情的で、被害妄想が強い人。
 だから、お母さんの話は、話半分に聞くか、気にしない方がいいよ
その言葉は、自分が成長し、母との関係を見直すときに、
何度も思い出すことになりました。

父は、祖父母と母の間を取り持つことはできず、かといって、
自活して祖父母と離れて暮らすほどの実力もなく、
ただ、妻(母)の愚痴を聞き、娘に対して祖父母の悪口を言う妻を放置していました。

優しい父親ではありましたが、力のない弱い男性だったと思います


そんな父ではありましたが、母の愚痴を受け止めるという点で、
母と祖父母の間の防波堤になっていたように思います。
しかし、父は長年の不摂生がたたり、急死しました。
そして、父の死後、祖父母と母の関係は、さらに悪化し、
私は父の代わりとして、祖父母と母から双方の悪口を聞かされ、
心が引き裂かれるような思いをしました。
また、祖父母と母から攻撃され、
「どうして、ひどいことを言われたり、家族の悪口を聞かされたりするんだろう」
と悶々としながら、過ごしていくことになりました。

祖父母から母の、母から祖父母の、悪口を聞かされました。
「そんなつもりはないんじゃないの?」「家族だから、仲良くしようよ」
そう言うと、「いや、でも」「なんで分からないんだ」「お前も同じ考えなのか」と非難されました。
特に母は、「この家から私を追い出したいの?」「私のことを変だって言いたいの?」
「あんた、親のこと敬ってる?」「私が悪いって言いたいのね!!」と罪悪感を煽る発言をしました。
絶縁したいま振り返ると、そいういった経緯もあって、
 “お母さん=かわいそう=助けて・分かってあげないといけない”
という発想から、なかなか抜け出すことができなかったのかな、と思います。

ついに母が、同居に耐えられなくなり、家を出ると言いました。
私も、祖父母と距離を取って、穏やかに受験勉強をしたいと思っていたので、
母について行こうとしたところ、祖父母から、
「二度と戻ってくるな」「相続させてやらない。遺留分も少なくなるよう弁護士と相談する」
と脅迫されました。
納戸で土下座をさせられて、上方から暴言を吐きかけられた記憶は、恐怖です。

このとき、祖父母に対する、血縁者への愛情が、ぷつりと切れました。
それまでも、いとこたちと比べて理不尽な扱いをされていて、傷ついていました。
母への暴言(デブ、淫乱、酒乱、みっともない、被害妄想狂等)にも傷ついていました。
それでも、私は祖父母に対して、「祖父母」だから、敬意を抱いていました。
でも、10代の孫に、住まいやお金のことで脅迫するなんて、人としてどうなんだろう。
この人たち、私のことを、人として、孫として、慈しんでくれない
そんな相手を、果たして家族として、年上だからと年長者への礼をもって、
接する必要があるんだろうか…?

その後、私は「遺産はいらない」と言い、母とともに家を出ました
けれども、長年パート勤めだった母には、経済力がなく、
「お金がない、お金がない」と、汲々とした生活でした。

私が、名の知れた大学に合格し、ブランド好きな祖父母は歓迎。
祖父は母に、「祖父母の家を孫(私)に相続させるから、家に戻ってきてほしい」と言いました。
祖父母の家は、高級住宅地の一軒家。プライドの高い母には憧れのステータスです。
(祖父母はケチなのと、「遺産」で自分たちが死ぬぎりぎりまで相手を支配したい、
 という欲求があったため、私の教育費や生活費については、一切支援はありませんでした)
母の希望もあり、祖父母との同居が再開されましたが、
これを機に、母の祖父母への遺産や、自身の資産に対する執着が一層強まりました。


祖父母との同居は、母にとってストレスでした。
でも、母は私に祖父母の資産を相続し、その資産をもって母を養うことを期待していました。
(祖父母は何年後に死ぬのだろう? どれくらいの資産が残るのだろうか? 本当に相続できるのか?)
祖父母の死を願うような気持ちで生活したくない。
(相続して、母を養わないといけないのだろうか。子どもの務めかも。でも、自分の将来が分からない…。)
母は「この家を相続するのは、あなたのためなのよ。だから私もいっしょに住んでいるの」
と言いつつ、食卓での会話は、祖父母に対する愚痴ばかり。
(家を相続するのは私のため? でも、お母さん、苦しそうだよ。)
苦しそうな母を見ていられず、「相続にこだわるの、やめよう」と言うと、
「相続するのは、あなたのため」と言う母。
私のためにも母のためにもならない相続だ、と言うとキレる母。
大学生のころから、母の「あなたのため」という発言に、
重苦しくモヤモヤした違和感を抱くようになりました。

母は、ほぼ毎晩、外食していました。お酒を飲んでいたのです。
「お金がない」「遺産相続のため」と言って、毎晩飲む矛盾。
「こんな暮らし(高級住宅地の一軒家での暮らし)ができるのも祖父母のおかげなのよ」
と私に言いながらも、祖父母に対する愚痴を延々と語る矛盾。

大学生だった私は、
「祖父母から離れて家を借りて、飲み代を家賃に回せば、生きていけるんじゃないの?
 お母さん、いつも祖父母への愚痴ばっかりで、祖父母宅での暮らしが辛そうだよ。幸せに暮らそうよ」
と母に言ったところ、
母に「子どものあなたに何が分かるのよ! 私を馬鹿にして! 育ててやっているのに!」
と怒られました。

私は、大学は給付型の奨学金で卒業し、在学中はアルバイトで収入もありました。
高校も授業料免除だったから、ふつうに子育てするより、お金はかからないはず。
子どもを産む・産まないは親の判断で、養う決断は自己責任なのに
どうしてこんなにも、育ててやったと、恩を強調するのだろう。
そんなに大変なら、産まないでほしかった。私も、この生活、苦しい。

母は、「子どものくせに」と言う。
じゃあ、子どもに相談して、子どもに愚痴を聞いてもらう母は、何なのだろう。
「子ども扱いするなら、相談も愚痴もやめてほしい」と母に言うと
「もういい! 私が悪いって言いたいのね! もう話さないから!!」とキレる母。
でも、しばらくたつと、また私に重苦しい相談や愚痴をぶつける母

苦しい中、私は、国家試験に合格し、社会的にも信頼のある職業に就くチャンスを得ました。
就職先は、祖父母や母の好きなブランド的職場。
祖父母は親戚中、家に来た業者等に自慢しまくりました。
でも、私本人には褒めず、むしろ「帰りが遅い」「残業代の無駄遣い」とけなすばかり。
一方、母は、会う人、会う人に自慢するのですが、
母のアクセサリーになったような、母の「母親修了証書」扱いされているような、
そんな扱いが、嫌で、嫌で、仕方なかったです。


社会人になって、色んな方にお会いしました。
本を読み、人と会い、働き、お給料で生活の糧を得て、
人間らしい生活をしていく中で、少しずつ自信がついていきました

いままで、私は「お金」の支配を受けてきた。
祖父母からの「遺産」、母の遺産への「執着」、母が私を「育ててやった」ときにかかった「コスト」。
でも、私は、収入を得る力を得たし、貯金しつつやりくりする知恵も身につけた。
生活する力もあるし、実現するための資力もある。

でも、束縛がきつい。罪悪感に縛られる。
私の一人暮らしを阻止する母、祖父母。みんな、一緒に暮らすのが「あなたのため」と言う。

母は、祖父母と3人で暮らすのが嫌なのだろう。祖父母と離れれば、少し落ち着くだろうか?
祖父母は、遺産で私をコントロールしたり、いいところに就職した孫を手元に置いておきたいのだろう。
なら、祖父母に黙って、必要なものだけ持って、母と2人で、こっそり祖父母宅から出ればいいのでは?
そうしたら、相続させないと脅迫された時のように、祖父母から攻撃されることもない。
母も、祖父母と離れれば、愚痴の原因がなくなるのだから、心穏やかに暮らせるのではないか。
そう考え、私と母は、スーツケースに詰め込める荷物だけをもって、祖父母宅を出ていきました。


祖父母宅から離れれば、優しい母になるのではないか。
私が赤ちゃんだった時のホームビデオに映る、優しいお母さんに…

でも、そんなことはありませんでした。
母は、この約30年、自分と合わない人は「悪者」にして、
自分の認めた考え以外は受け付けない思考回路を使い続けました。
母は、この約20年、娘を威圧し、あるときは罪悪感を抱かせ、
自分の認めた考えに従うよう娘をコントロールする思考回路を使い続けました。
身に沁みついてしまった考え、コミュニケーションの法則は、治りませんでした。

新居は、私が契約し、公共料金等も私が手続して私が支払いました
家賃の7割は私が負担しました。
母は、自分より手取り収入が多く、家賃補助のある私をアテにしていました。
しかし、娘のほうが経済的に優位である状況に、不満を抱いていました。
少しでも気に入らないことがあると、「偉そうに」「親を親と思っていない」と被害者ぶりました。
また、「もういい、別れて暮らそう! あなた、この2DK分の家賃、一人で払えば!」
「そういう別れ方をするなら、私、あなたを支えられないから!!」と脅迫しました。

何度も母に暴言を吐かれ、私は精神的に参っていました。
また、私の中で、
 私の祖父母を批判した母。これってDVの一種だよね?
 もし、母が、私の夫や、夫の両親の悪口を、私の子どもに聞かせたら、どうしよう。
 自分と同じようなつらい経験を、自分の子どもにさせたくない。
 脅迫するような母は、本当に母なんだろうか。
 脅迫を、私の夫や、私の子どもにしたら、どうしよう。
と、母との関係を継続させることについて、疑問が生じました。

そして、私は、母に、「別居しよう」と切り出しました。
でも、母には、一人で生きていく力はない。母は老後が不安なのです。
だから、私を手放したくない。私を手放したら、子育ての修了証書、世間体、老後の保険が失われてしまう。
母は、「この生活がいいの。もう、娘に愚痴をこぼしたり、娘を批判しない」と言いました。
しかし、しばらくたつと、愚痴や批判のやまない母。
その挙句に、母から別居を切り出したのに、
「娘から別居を切り出された」「娘から縁を切ると脅された」と記憶を歪め、
何かあると、私のことを冷たい娘と批判するようになりました。


母には、父の死後、長いこと交際している男性がいました。
でも、その男性は新興宗教の信者で、豪勢にご馳走してくれる時は奢ってくれるのですが、
普段の生活は、お布施のお金を確保するために質素倹約で、
母は1か月ほど同棲した時に「家政婦のようにこき使われた」と愚痴を言っておりました。

娘に彼氏の愚痴を聞かせ、またある時は、彼氏を父親のように大事にしてほしい、
彼氏も私の娘を本当の娘のように大切にしてくれる…と言うのですが。
批判と称賛の振れ幅が大きいのと、恩着せがましさの重さで、母の彼氏の存在がしんどくなりました。


母の、「遺族年金をもらい続けたい。私はかわいそうな寡婦でお金がない」
「あなたのお父さんが生きていたら、遺族年金分の収入があったから、もらうのは当然の権利」
「遺族年金がないと、彼氏とデートできない。彼氏は私に自立を求めているから」
「遺族年金が必要なのは、あなたを支えるため。裕福な母親のほうがいいでしょう?」
「祖父母の家を相続してほしい。それがあなたのため」
「祖父母の家に、私は住みたい。あなたのお父さんが生きていたら、そうなるはずだった」
「あなたの子どもの面倒を見てあげたい。私仕様に育てるから」
「あなたの旦那さんはどんな人かしら。あなたが選ぶなら、学歴も職業も申し分ないよね」
という欲望に、私は押しつぶされそうな重さを感じていました。

どう生きたいかは、その人の自由。
でも、母の人生の選択に、私を巻き込まないでほしい。
母の希望を、私の人生でかなえることを、期待しないでほしい。
私は、私の人生を生きたい。私と母は、親子ではあるけれども、別の人間だから。


ある日、母の愚痴が収まらず、愚痴をやめてほしいといったところ
「愚痴じゃないわ。家族の会話よ。それすら話せないなら、家族の会話がなくなるわ」と言われました。
ついに、苦しくて、母に、「愚痴を聞くのも、お母さんの将来設計に私の人生が組み込まれるのも、
重苦しくてつらい」と正直に気持ちを伝えたところ、母は大泣きしてキレました。
「もう、いい! 私と縁を切りたいのね! よく分かったわ!」と言い、
母は彼氏との再婚を決め、退職と引越の手配をしました。

私が単独借主なので、母が家から出るだけでよかったのですが、母
「この家は、私たちが仲良く暮らすために借りたの! だから解約!」と主張しました。
あれ? 2DKの家賃を一人で払えば、とか、脅していなかったっけ?
今度は、私から住まいを巻き上げる方向の脅迫…?
「お母さん、この家は、私の単独名義で借りているの。
 民法には、契約を安定させるっていう理念があってね、
 私にはこの家を一人で借りられる資力もあるし、大家さんの都合もあるから…」
と話したところ、「そんなの関係ないの! 私たちが一緒に暮らすために借りたの!
だから、同居をやめるなら解約するのが筋なの!!」と言い、
母は伯父(母の兄)に電話し、伯父に
「娘に家を追い出されるから、お兄さんも保証人をおりて」と虚偽の電話をし、
私に怒った伯父は、保証人をおりると宣言しました。

伯父は、酒乱です。その電話の時も、酔っていました。
家父長思想なのにマスオさんなので、目下には八つ当たりします。
だから、「親を敬わないなんて、ないだろ」と怒り、私の話を一切聞いてくれませんでした。

せめて、仕事の繁忙期の引っ越しは避けたい、待ってほしい、と言っても、
私の都合を一切考えず、賃貸契約を切ろうとする母と伯父。
伯父も母も、「お前は、仕事でいろんな人と話をしていて、交渉事が得意なんだろう?
じゃあ、他の人に保証人を頼んだり、大家さんに相談してみれば?」とバカにした口調で話しました。
母は、「はっ」とバカにした笑い声を出し、軽蔑の笑みを浮かべながら。

私は、自分の大好きな仕事を、馬鹿にされて、とても、とても、悲しかったです。
一生、勤め続ける。そう決めているほど、大好きな仕事を…。
しかも、母は散々いろんな人に、私の就職先を自慢していたのに、
こういうときにはけなすんだ…ということが、とてもショックでした。

「親を敬ってよ」「愚痴を聞いてくれないの」「育ててやったのに」と煽られる罪悪感。
「遺産を相続して」「養って」と決めつけられる人生。
言う通りにしないと、別居、絶縁、住居没収、という脅迫…。
このとき、「この人はもうダメなんだ」と、祖父母への愛がぷつんと切れたときと同じように、
母や母方の伯父に対する情が、切れてしまいました。

今度こそ、母と距離を取ろう。


距離を取る。
それは、どれくらい取るか? 悩みました。
疎遠にするか、完全に縁を切るか。
でも、少し離れただけじゃ、また戻ってきてしまう。
そして、なんども、人格の独立性を否定されたように、また、支配される。

もう、お母さんに、振り回されたくない。家族のことで悩みたくない。

そして、たまに、母や祖父母のようになっている自分に気づきました。
親しい人に愚痴を言い、重苦しい、自分。
でも、そんなふうになりたくない。

毒の要素を断とう。
―私は、他の人の価値観や人生を尊重しつつ、私自身の人生を生きよう―

その決意が、親との縁を切った理由です。 








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