私の毒親(家族)体験記-母の言動と、私の恋愛観-
こんにちは。
今日は、私の毒親体験記ということで、
母の言動が、私の対人関係や恋愛観に悪影響を与えたことについてお話しします。
私の母は、 他者に対する好き嫌いや、評価の波の激しい人でした。
嫌いな人間、相いれない価値観は、ダメ・絶対。な感じでした。
特に、父が亡くなって以降は、私の親族、母の友人に関する悪口がダダ漏れ。
ずっと、ずっと、人の悪い部分についてたくさん聞かされてきて、
私は母から、「人間なんて、ロクなもんじゃない」と植え付けられてきました。
よくあるのが、母が、「この人、いい人なのよ。あなたに紹介したいの」
と言った人と会ってしばらくすると、母はその人について、
「もう、あの人、本当にありえない。仕方ないわ、あの人、だって、
①職業が~、②生まれ育ちが~、③子どもが~、
④(以下、相手の属性をあげつらって相手を貶める) 、
だから、しょうがないわね」と悪口を言いまくるのです。
えぇえ、あんなに、相手のことをいい人だ、って、好きだって、
言ってたのに!! なんで?!
そこで私が、「お母さん、あの人のことを、いい人だって言って紹介してくれたよね。
もしかしたら、お酒が入ってたり、ちょっとお互いに勘違いしたりとかしてるだけかもよ」
などと相手をかばおうものなら、
「なによ?! 私が悪いって言いたいわけ?!」とキレるのです。
逆もありました。
私の母は、伯父(母の兄)があまり好きではありませんでした。
理由は、祖父(母の父)と伯父ファミリーが同居したのですが、
祖父は伯母(母の兄の妻)とうまくいかず、色々あって衰弱死したのですが、
それを、母は長らく、伯父が不甲斐ないからだ、と言っておりました。
が、私の父が亡くなり、頼れる男性が伯父しかいない母は、伯父に頼りました。
しかし、しばらくすると、今度は、伯父が母の彼氏に反対すると、
また伯父を避け、伯父の悪口を言うように。
嫌で、嫌で仕方なかったのは、母の男友達(彼氏含む)。
散々、頼って、いい人と言い、後に合わなくなると、
自分のことを大切にしてくれないと罵倒する。
罵倒していたかと思うと、また、その男と仲良くする。
私が「罵倒していなかったっけ?」と懐疑的でいると、
母は私を「なんで理解してくれないの!!」と非難する。
母は、私に対しても同じように接しました。
好きだと言ったかと思えば、嫌いだと言う。
嫌いと言ったかと思えば、大事に思っていると言う。
こんなにも、相手を好きだと言っている人が、
陰では相手の悪口を垂れ流す。
私は、人は信じられない、人はいつか裏切る、人に嫌われるのが怖い、
自分の気づかないところで自分は人から嫌われているのかもしれない、
そう思って、人の気持ちや、人の目に敏感でした。
だから、「好きだ」と友人や、異性から言われても、
私は、その言葉を素直に信じることが出来ませんでした。
いつか、私が彼らの意に添わなかったとき、嫌われてしまうかもしれない、と。
いい人、と思っても、「〇〇なところがイヤ」と相手を嫌いになる自分。
母親に似ていて、嫌いでした。
母が嫌い。自分も嫌い。
いい人、って言って、嫌い、って言う。
母の嫌な言動と、同じことを私もしている。
母が、男の人がいる飲みの席で、男に媚びるのを見るのが嫌でした。
なんでそんなにぶりっ子するの。気持ち悪い。
場を盛り上げようと、どうしてそんなに気を遣うの。
気持ち悪い。
母の性的な部分を見てしまったようで、気持ち悪い。
やだ、やだ。男友達をとっかえひっかえする母親。
愛情に飢えている自分。
母みたいに、寂しさから男性と付き合うようになるのが怖い。
母のように、自分もふしだらで気まぐれだったら、どうしよう。
母の嫌な部分を、自分も受け継いでいるかもしれない。
そう思うと、自分のことが、とても嫌いでした。
私にとって、人間関係を地道に構築することは、苦行でした。
「毒親」という言葉と出会い、毒親研究をする中で、
母が私にした言動を振り返り、そして、私が他者にした言動を振り返る。
これは、やったら相手が重苦しく思ってしまう言動だったな。
どうして、あのとき、こんなことをしちゃったんだろう。
もし、次に同じようなことがあったら、どうしたらいいんだろう。
自分の失敗を振り返ることは、とてもつらかったけれども、
気が付いたら、自分の心が、軽くなっていることに気づきました。
心が軽くなったら、もっといい立ち振る舞いが出来ていました。
いま思えば、私は毒母と同じように、「重い女」でした。
恋人に対しても、友だちに対しても。重かった。求めてばかり。
自分を愛することが出来なかったから、自分や他者の愛し方が分からなかった。
自分も、相手も、あるがままに、受け止める。
ただそこに存在しているだけでいい。
そんな風に、気が楽になったのは、20代半ばになってからでした。
無駄に遠回りしてしまったかもしれない。心も、体も、傷だらけ笑
でも、その傷も含めて、自分らしく、「いい味出したい」と思います。
毒親育ちは、幼少期から、まともじゃない人間関係を見ているせいで、
まともな人間関係が分からない。
だから、苦労をして、挫折をすることも多い。
けれども、毒親や悪い環境に屈しないで、努力すれば、
きっと、自分の未来は自分でより良い方向に進められると、私は信じています。
変わりたい、昨日の自分より、もっといい自分でありたい。
その思いが自分を変えると、私は思います。
どうか、毒親育ちで苦労している方が、
一人でも多く、前向きに生きることができますように。
今日は、私の毒親体験記ということで、
母の言動が、私の対人関係や恋愛観に悪影響を与えたことについてお話しします。
私の母は、 他者に対する好き嫌いや、評価の波の激しい人でした。
嫌いな人間、相いれない価値観は、ダメ・絶対。な感じでした。
特に、父が亡くなって以降は、私の親族、母の友人に関する悪口がダダ漏れ。
ずっと、ずっと、人の悪い部分についてたくさん聞かされてきて、
私は母から、「人間なんて、ロクなもんじゃない」と植え付けられてきました。
よくあるのが、母が、「この人、いい人なのよ。あなたに紹介したいの」
と言った人と会ってしばらくすると、母はその人について、
「もう、あの人、本当にありえない。仕方ないわ、あの人、だって、
①職業が~、②生まれ育ちが~、③子どもが~、
④(以下、相手の属性をあげつらって相手を貶める) 、
だから、しょうがないわね」と悪口を言いまくるのです。
えぇえ、あんなに、相手のことをいい人だ、って、好きだって、
言ってたのに!! なんで?!
そこで私が、「お母さん、あの人のことを、いい人だって言って紹介してくれたよね。
もしかしたら、お酒が入ってたり、ちょっとお互いに勘違いしたりとかしてるだけかもよ」
などと相手をかばおうものなら、
「なによ?! 私が悪いって言いたいわけ?!」とキレるのです。
逆もありました。
私の母は、伯父(母の兄)があまり好きではありませんでした。
理由は、祖父(母の父)と伯父ファミリーが同居したのですが、
祖父は伯母(母の兄の妻)とうまくいかず、色々あって衰弱死したのですが、
それを、母は長らく、伯父が不甲斐ないからだ、と言っておりました。
が、私の父が亡くなり、頼れる男性が伯父しかいない母は、伯父に頼りました。
しかし、しばらくすると、今度は、伯父が母の彼氏に反対すると、
また伯父を避け、伯父の悪口を言うように。
嫌で、嫌で仕方なかったのは、母の男友達(彼氏含む)。
散々、頼って、いい人と言い、後に合わなくなると、
自分のことを大切にしてくれないと罵倒する。
罵倒していたかと思うと、また、その男と仲良くする。
私が「罵倒していなかったっけ?」と懐疑的でいると、
母は私を「なんで理解してくれないの!!」と非難する。
母は、私に対しても同じように接しました。
好きだと言ったかと思えば、嫌いだと言う。
嫌いと言ったかと思えば、大事に思っていると言う。
こんなにも、相手を好きだと言っている人が、
陰では相手の悪口を垂れ流す。
私は、人は信じられない、人はいつか裏切る、人に嫌われるのが怖い、
自分の気づかないところで自分は人から嫌われているのかもしれない、
そう思って、人の気持ちや、人の目に敏感でした。
だから、「好きだ」と友人や、異性から言われても、
私は、その言葉を素直に信じることが出来ませんでした。
いつか、私が彼らの意に添わなかったとき、嫌われてしまうかもしれない、と。
いい人、と思っても、「〇〇なところがイヤ」と相手を嫌いになる自分。
母親に似ていて、嫌いでした。
母が嫌い。自分も嫌い。
いい人、って言って、嫌い、って言う。
母の嫌な言動と、同じことを私もしている。
母が、男の人がいる飲みの席で、男に媚びるのを見るのが嫌でした。
なんでそんなにぶりっ子するの。気持ち悪い。
場を盛り上げようと、どうしてそんなに気を遣うの。
気持ち悪い。
母の性的な部分を見てしまったようで、気持ち悪い。
やだ、やだ。男友達をとっかえひっかえする母親。
愛情に飢えている自分。
母みたいに、寂しさから男性と付き合うようになるのが怖い。
母のように、自分もふしだらで気まぐれだったら、どうしよう。
母の嫌な部分を、自分も受け継いでいるかもしれない。
そう思うと、自分のことが、とても嫌いでした。
私にとって、人間関係を地道に構築することは、苦行でした。
「毒親」という言葉と出会い、毒親研究をする中で、
母が私にした言動を振り返り、そして、私が他者にした言動を振り返る。
これは、やったら相手が重苦しく思ってしまう言動だったな。
どうして、あのとき、こんなことをしちゃったんだろう。
もし、次に同じようなことがあったら、どうしたらいいんだろう。
自分の失敗を振り返ることは、とてもつらかったけれども、
気が付いたら、自分の心が、軽くなっていることに気づきました。
心が軽くなったら、もっといい立ち振る舞いが出来ていました。
いま思えば、私は毒母と同じように、「重い女」でした。
恋人に対しても、友だちに対しても。重かった。求めてばかり。
自分を愛することが出来なかったから、自分や他者の愛し方が分からなかった。
自分も、相手も、あるがままに、受け止める。
ただそこに存在しているだけでいい。
そんな風に、気が楽になったのは、20代半ばになってからでした。
無駄に遠回りしてしまったかもしれない。心も、体も、傷だらけ笑
でも、その傷も含めて、自分らしく、「いい味出したい」と思います。
毒親育ちは、幼少期から、まともじゃない人間関係を見ているせいで、
まともな人間関係が分からない。
だから、苦労をして、挫折をすることも多い。
けれども、毒親や悪い環境に屈しないで、努力すれば、
きっと、自分の未来は自分でより良い方向に進められると、私は信じています。
変わりたい、昨日の自分より、もっといい自分でありたい。
その思いが自分を変えると、私は思います。
どうか、毒親育ちで苦労している方が、
一人でも多く、前向きに生きることができますように。