私の毒親(家族)体験記―母との喧嘩―
こんにちは。
今日は、私の毒親体験記ということで、母との喧嘩についてお話します。
私の母は、喧嘩(感情的なやり取り)になると、
私の心に傷を残す人でした。
○泣いて罪悪感をあおる
これをされると、「母の意に沿わない私が悪い」という気にさせられます。
たとえば、母と二人暮らしをしていた頃のことです。
私は、自分の健康を気遣い、自分の食事は自炊していました。
が、母は、自分が作ったものを私に食べさせようとします。
ある日、母が私に母の手料理を無理やり食べさせたので、私が母に、
「ご飯を作ってくれる気持ちはありがたいけれども、
私は仕事も不規則だし、いつも食べられるわけじゃ無いから残すのが申し訳ないし、
いま、ダイエット中だから、食事は自分でコントロールしたいんだ」
と言ったところ、母は私が食べている料理の入った食器を引ったくり、
「じゃあ、食べなくていいわよ!!」と絶叫。
料理を流しにぶちまけました。
その直後、キッチンでしくしくと泣き、私に背を向けながら、
「私が至らぬ母だから、悪いのね…」
「あなたのためを思って、私の手料理を食べさせているのに」と。
こうやって嗚咽を漏らされ、罪悪感をあおる言葉を言われると、
娘としては、親不孝をしているみたいで、とても、とても辛いです。
いまでも、私は親不孝な悪い娘なんじゃないかと、
自分の行いに自信が持てず、不安になることがあります。
○言動が感情的
上述の、料理を流しにぶちまけて捨てる、というのもそうですが、
母は言動が感情的で、その言動で私は心が重くなることが多々ありました。
たとえば、喧嘩した後の洗濯物について。
当初、私の洗濯物は、母が洗ってくれていました(その後、私は自分の洗濯も自分でするようになりました)。
が、私が母の意に反する言動をした翌晩、帰宅したところ、
脱衣所の洗濯籠替わりのビニール袋の中に、べっちょりと濡れた私の衣類がありました。
濡れた衣類の下には、乾いた衣類も。
母は、喧嘩した娘の服を洗いたくなかったのでしょう、
洗濯籠から私の衣類を抜き出して、自分の衣類だけを洗った。
が、洗った衣類の中に、私の衣類もあったから、
洗っていない乾いた衣類の上に、濡れた衣類を置き、放置したのでしょう。
別に、いいんです、私の衣類を洗濯しなくても。
が、濡れた衣類(しかもたった1着)を放置するって、
どういう神経をしているんでしょうか。
色うつりするかもしれないから、せめて、別の場所に置いておくとか。
それか、普通に「洗濯したくない」と言えばいいのに。
そして、その晩、第2の事件がありました。
私が湯船につかっていたところ、母が浴室の隣のトイレで、
トイレの蓋を乱暴に開け閉めしながら、トイレの掃除をし始めたのです。
洗濯も掃除も、誰がしてやっていたと思っているんだ、という意思表示でしょうか。
私、週末には念入りに浴室やトイレの掃除もしていたし、
リビングの床も水拭きしたりしていました。
平日は時間がない分、お風呂はお湯でさっと泡や垢を流すとかしていたのですが…。
こうやって、罪悪感をあおる言動や、感情的な言動をされると、
母が怖くて、私は母とできるだけ接触しないよう努めました。
いま思うと、母には「お互い様」という気持ちがなかったのだと思います。
上下関係か、加害者・被害者の関係で、行きつく先は「勝ち負け」しかない。
私がマンションを借りて、光熱費の契約をして、
料理は別々にして、掃除は分担して。
でも、母には、互助という発想がない。
だから、娘の借りたマンションに住む自分(母)は「下」で「負けてて」、
洗濯をしている自分(母)は「被害者」で「勝っている」娘に対してイラつく。
いま、私の一人暮らしの家には、よく友人が泊まりに来るのですが、
友人の分の洗濯をするのは苦ではないし、
私がきれいに掃除した家を心地よく使ってもらうのは嬉しいし、
逆に友人が、お酒とか食べ物を持ってきてくれるのが、すごくありがたいです。
友人に「ありがとう」って言われると、
「こっちこそ、嬉しいし、ありがたいんだよ」と伝えています。
嫌な部分や変なルールがあれば言ってね、と伝えているし、
私も、相手がして嫌なことがあれば素直に相談する。
お互いに歩み寄る。だから、ストレスがない。
親と離れて、そして、親とのストレスフルなコミュニケーションの取り方とも離れて、
本当に気持ちが楽になったな…と思います。
今日は、私の毒親体験記ということで、母との喧嘩についてお話します。
私の母は、喧嘩(感情的なやり取り)になると、
私の心に傷を残す人でした。
○泣いて罪悪感をあおる
これをされると、「母の意に沿わない私が悪い」という気にさせられます。
たとえば、母と二人暮らしをしていた頃のことです。
私は、自分の健康を気遣い、自分の食事は自炊していました。
が、母は、自分が作ったものを私に食べさせようとします。
ある日、母が私に母の手料理を無理やり食べさせたので、私が母に、
「ご飯を作ってくれる気持ちはありがたいけれども、
私は仕事も不規則だし、いつも食べられるわけじゃ無いから残すのが申し訳ないし、
いま、ダイエット中だから、食事は自分でコントロールしたいんだ」
と言ったところ、母は私が食べている料理の入った食器を引ったくり、
「じゃあ、食べなくていいわよ!!」と絶叫。
料理を流しにぶちまけました。
その直後、キッチンでしくしくと泣き、私に背を向けながら、
「私が至らぬ母だから、悪いのね…」
「あなたのためを思って、私の手料理を食べさせているのに」と。
こうやって嗚咽を漏らされ、罪悪感をあおる言葉を言われると、
娘としては、親不孝をしているみたいで、とても、とても辛いです。
いまでも、私は親不孝な悪い娘なんじゃないかと、
自分の行いに自信が持てず、不安になることがあります。
○言動が感情的
上述の、料理を流しにぶちまけて捨てる、というのもそうですが、
母は言動が感情的で、その言動で私は心が重くなることが多々ありました。
たとえば、喧嘩した後の洗濯物について。
当初、私の洗濯物は、母が洗ってくれていました(その後、私は自分の洗濯も自分でするようになりました)。
が、私が母の意に反する言動をした翌晩、帰宅したところ、
脱衣所の洗濯籠替わりのビニール袋の中に、べっちょりと濡れた私の衣類がありました。
濡れた衣類の下には、乾いた衣類も。
母は、喧嘩した娘の服を洗いたくなかったのでしょう、
洗濯籠から私の衣類を抜き出して、自分の衣類だけを洗った。
が、洗った衣類の中に、私の衣類もあったから、
洗っていない乾いた衣類の上に、濡れた衣類を置き、放置したのでしょう。
別に、いいんです、私の衣類を洗濯しなくても。
が、濡れた衣類(しかもたった1着)を放置するって、
どういう神経をしているんでしょうか。
色うつりするかもしれないから、せめて、別の場所に置いておくとか。
それか、普通に「洗濯したくない」と言えばいいのに。
そして、その晩、第2の事件がありました。
私が湯船につかっていたところ、母が浴室の隣のトイレで、
トイレの蓋を乱暴に開け閉めしながら、トイレの掃除をし始めたのです。
洗濯も掃除も、誰がしてやっていたと思っているんだ、という意思表示でしょうか。
私、週末には念入りに浴室やトイレの掃除もしていたし、
リビングの床も水拭きしたりしていました。
平日は時間がない分、お風呂はお湯でさっと泡や垢を流すとかしていたのですが…。
こうやって、罪悪感をあおる言動や、感情的な言動をされると、
母が怖くて、私は母とできるだけ接触しないよう努めました。
いま思うと、母には「お互い様」という気持ちがなかったのだと思います。
上下関係か、加害者・被害者の関係で、行きつく先は「勝ち負け」しかない。
私がマンションを借りて、光熱費の契約をして、
料理は別々にして、掃除は分担して。
でも、母には、互助という発想がない。
だから、娘の借りたマンションに住む自分(母)は「下」で「負けてて」、
洗濯をしている自分(母)は「被害者」で「勝っている」娘に対してイラつく。
いま、私の一人暮らしの家には、よく友人が泊まりに来るのですが、
友人の分の洗濯をするのは苦ではないし、
私がきれいに掃除した家を心地よく使ってもらうのは嬉しいし、
逆に友人が、お酒とか食べ物を持ってきてくれるのが、すごくありがたいです。
友人に「ありがとう」って言われると、
「こっちこそ、嬉しいし、ありがたいんだよ」と伝えています。
嫌な部分や変なルールがあれば言ってね、と伝えているし、
私も、相手がして嫌なことがあれば素直に相談する。
お互いに歩み寄る。だから、ストレスがない。
親と離れて、そして、親とのストレスフルなコミュニケーションの取り方とも離れて、
本当に気持ちが楽になったな…と思います。