小ネタ―毒祖父母との別居から1年―

こんにちは。
今日は、小ネタということで、毒祖父母との別居から1年、
というテーマでお話いたします。

【概要】
2019
年の年明け早々に、毒祖父母の家から、母とこっそり引っ越しました。
毒祖父母に最後に会ったのは、2019年の晩夏です。
そして、2019年の秋に、毒母とも別居し、毒祖父母及び毒母と完全絶縁しました。



この1年の流れ
(1年前)2019年の年明け早々 祖父母宅から脱出【1度目の引越】
(半年前)2019年の夏の終わり 祖父母と最後に会った時期
     2019年の秋 母と別居【2度目の引越】  祖父母&母と完全絶縁
10
月に毒祖父が脅迫文を知人経由で送りつけてくる、
なんて珍事件もありましたが、今となっては遠い過去のような心境です()

2019
年は思いがけず2回も引越すことになりましたが、
予想外の出費(引越費用2回分!!)にも関わらず、
2019
年はそれなりに貯金&投資ができました。


しかし、色々と工夫していれば、もっと時間もお金も節約できたのではないかな、
と悔やんでいる点もあり、このようにブログで発信している次第です。
みなさんが、ミニマルコストで絶縁できることを願っています()


今日は、
・効率のいい絶縁(家出)方法<反省点>
・気持ちの変化
についてお話します。




【効率のいい絶縁(家出)方法<反省点>】
絶縁当初は、入念に調べ、段取りも踏み、効率よく絶縁できたと思っていましたが、
いま振り返ると、色々と、無駄がカットできたのではないか、と思います。



反省点1 持ち物
祖父母宅から母のマンションに引っ越した際、当初はスーツケース
パソコン、洋服、貴重品を詰め込んで引越ししました。


が、その後、追加で服が必要かも、とか、結婚に備えて母子手帳が欲しい、とか、
数回、毒祖父母宅に荷物を取りに行くことになりました。
(家に行くたびに、祖父に暴言を吐かれて、不愉快でした()
 

母子手帳含め、持って行くとよい書類や身分証については、
別途記事をまとめているので、それを参考に、みなさんは荷物をまとめてくださいね!()
 

あと、洋服は、「そのシーズンに必要な服を適宜買いそろえる」方式がいいと思います。
正直、実家から持って行く服は、本当に必要最低限
(私なら、「平日は忙しくて洗えないから5日分」)で十分です!()
 

クロやG●など、プチプラな服は意外と便利です。
ワンシーズン着倒して捨てれば、クローゼットもすっきりしますし()
狭い部屋や収納の少ない部屋に住めば、家賃も安くなります。
 

トレンチコートも、シーズン終わりにクリーニングに出すことを考えると、
クリーニング代=新品のトレンチコート代 くらいなので、
割り切って新品を買ってしまうのもいいと思います(同じことはスーツにも言えます)。



反省点2 家具・家電
毒祖父母宅から母と2人で引っ越し  母に住居を巻き上げられ、再度引っ越し
という経緯もあったので、いま思うのは、
「人によっては、家具・家電は、買わなくていいかもしれない」ということです。
 

確かに、ニリやAm●zonで家具・家電を新居に直送、
というのは、とても便利でした。
安い値段で、買いそろえられますしね。


が、最近は家具・家電のレンタルもあるので、
最初はお試し気分でレンタルして、
いらないものは返品して、借りた物を買い取ったり、新品を買ったり、
色んな方法があっても良いのではないか、と思います。


私の場合、「母が好きだから買ったけど、私にはいらない家電」もあったり、
「家電の運搬、お金がかかるな」と思うこともあったので、
家具・家電を購入したことについて、後悔しています。



反省点3 家賃・光熱費の支払いについて
母と暮らした家では、私が家の借主・光熱費の契約者でした。
このため、母から、
・子どもの分際で、偉そうに!!
・私、出てくから、一人で家賃払えば?!
と暴言を言われたり、脅迫されたり、とても嫌な思いをしました。


もし、毒家族と同居するのであれば、自分が契約主にならない方がいいです。
毒家族を契約主にしてしまえば、こっそり退居(トンズラ)することも可能です。



反省点4 毒母への温情を捨てるべきだった(?)
ちょっとこれは、毒祖父母との絶縁当時の自分には厳しい判断ですが、
振り返ってみると、温情は捨ててよかったと思います。


上述の通り、母との同居中、私が家の契約主かつ光熱費の支払い者でした。
これは、「親なんだから、大事にしないと」「祖父母と離れれば母も落ち着くかな?」
「私は家賃補助が出る勤務先だし、私の方が収入も多いし、支えるのが人情かな?」という、
母へのやさしさからでした。


でも、一方で、「もし、結婚することになったら、私、この母親を、
夫や夫の家族に紹介できるだろうか?」と、「いつか絶縁するかも」という予想もありました。
結果的に、絶縁したのですが()


結果論から言うと、「どうせ絶縁するのなら、母との二人暮らしは無駄だった」
とは思います。
でも、一方で、私は、友人からも同僚からも「優しくて穏やか」と言われており、
歩いているとよく人に道を聞かれるような(お人よしな)顔立ちで
電車で子連れや妊婦さんに席を譲るのも大好きな人間です。
この、優しさや親切心は、私のアイデンティティです。


だから、もしかしたら、最初から母を捨てていたら、
私の心の一部は死んでいたかもしれない、とも思います。


100%納得はしていないのですが、
母と2人で暮らした約半年間、ダメ押しか!ってくらい、母に嫌なことをされたからこそ、
「母を完全に嫌いになれた」し、「母と絶縁したことについて、罪悪感を抱いていない」
という境地に達することができたのかと思います。



まとめ
長々書いたので、まとめです。
1.持ち物はよく吟味・検討しましょう
2.家電・家具はレンタルという方法もある
3.毒親と同居するなら、自分が契約主体にならない
4.気持ちの整理ができるなら、毒家族は早々に見捨てた方がよい




【気持ちの変化】
ここでは、毒祖父母と別居して1年の、心の変化についてお話します。
毒祖父母宅からこっそり出ていくときは、不安でした。
怒られるんじゃないか、お金は大丈夫だろうか、と。


としては、
 ・怒られるけど、怒られれば怒られるほど相手が嫌いになるし、
  相手が嫌いになると、怒られても気にならない
 ・お金はかかるけれども、ストレスそのものやストレスによる浪費も減るし、
  ストレスが減ったおかげで副業(私は投資)収入の増加に取り組め、結果オーライ
といったところです。


以下は、上記結論にたどり着くまでの、とりとめのない心の動きです。



既に、絶縁の経緯や、毒親体験記で何度かお話しましたが、
私の祖父母は、都心部の高級住宅地に一軒家を持っており、
「相続させるから、言うことを聞け」と、私に言い続けてきました
母も、「いずれは、あなたが相続するのよ」と言い、
私が家を相続することに期待していました。


だから、「(どんなにつらくても)家に住み続ける」ということが
私の中で、ある種の信念(?)になっていました。


刷り込みにより、
・家に住まないと貧乏になる
・家を相続しないと貧乏になる
と思っていました。


だから、毒祖父母の家を出たときに、
・相続財産を減らす、家を相続させないと言われるかもしれない
・結果的に、貧乏になるかもしれない
と、不安を抱いていました。


私と一緒に毒祖父母の家を出た母も、家に対して未練たらたらで、
私に相続するよう、しつこく、しつこく、求めていました。


でも、毒母との半年間のマンション暮らしの中で、
毒祖父母の一軒家を出ても十分やっていける
(=「家に住まないと貧乏になる」ということはない)
という考えに至りました。


毒母とも別居し、一人暮らしをするようになって、
その「考え」は「確信」に変わりました。


そのうち、「「相続」というのは、「私のため」ではなく、
「私を束縛するためのもの」だったんだ」という結論に至りました


私を傷つける人が、本当に、私に財産を遺してくれるだろうか。
不確かな未来のために、確実な「いま、ここ」を捨てていいのだろうか。


「家を出ていくなら、相続させない」と高校生の私に言い、
「自分の老後が不安だから、相続財産を減らす」と20代の私に行った祖父。
私を支配するために、脅迫する人は、信じるに値しません。


期待するのをやめた今、相続財産に未練はありません。


確かに、それなりに額の大きい遺産なので、あったら人生は楽になります。
(たとえば、1億円を年5%の利回りで運用すると、1年で500万円増えます)


でも、正直、彼らが死んだら、こっそり相続放棄しようかな、とも思っています。
とはいえ、ばかデカい不動産があり、相続は放棄しても管理義務は生じてしまうので、
うまく手続きをする必要はあり、部分的に相続せざるをえない可能性もありますが
空き家を放置した遺族が、管理義務違反で訴えられることもあります


いま、遺産相続については、淡々と対応せざるをえないと思っていますし、
その点に対して、怒りや憎しみはなく、事実は事実として、受け止めています。



同じ不確かな未来に期待するのなら、
相続を受けられるかもしれない未来よりも、
自分が成長している未来を信じたい。
自分自身に期待して、自分の今を大事にしたい。


もう、毒祖父母は90代半ばなので、もうすぐ天に召されるかもしれません。
でも、5年、10年、この大事な日々を、犠牲にしたくない。


だから、祖父母に嫌われてもいい。相続を受けられなくてもいい。
相続が無くても、私は自分の力で生きていける。


祖父母が死ななくても、いま、私は自由です。
確かに、亡くなったら、「これで私を捜索しようとする人間がいなくなる」と安心はします()
でも、相続にとらわれなくなった段階で、私の心は、自由です。


同居していたときの終盤は、「早く死んでくれ。そしたら相続できる」と思っていましたが、
いまは、「相続なんてどうでもいいから、私を捜すのをやめてくれないかなぁ」という境地か、
あるいは、もう祖父母のことなんてすっきりさっぱり忘れている、というところです。


今日は、別居から1年以上経っていたから思い出してしまいましたが、
そのうち、別居した事実すら忘れられたらいいなぁ、と思っています。


それに、こんなにも祖父母のことが遠い出来事に感じるのであれば
きっと、母との出来事も、遠い過去のように感じて、忘却できるのではないか、と
希望を抱いています。


気にするなんて、その分の時間がもったいない。
いま、自分の時間を、精一杯生きよう!と思っています。

いま、毒家族との絶縁に不安を抱いている方。
その「不安」は、きっと、いつか和らぎます。
悲しみも、怒りも、和らいでいきます。


だから、どうか、恐れず、「毒家族と離れたい」という気持ちを大切に、
自分にとってベストな選択を、自信をもって選んでください。
心から応援しています。


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