解毒方法ー嫉妬からの自由ー
こんにちは。
今日は、解毒方法ということで、「嫉妬からの自由」について お話します。
私の母は、私の父方の親族や、母方の親族、そして私自身について 、
様々な悪口を言ってきました。
悪口を聞いた時も、聞いた後も、嫌な気持ちになりました。
いまも、ふと思い出すと、モヤモヤします。
けれども、最近、「なぜ、母はあんなひどいことを言ったのだろう か?」
と考えると、「母は嫉妬していたのかもしれない」という考えに至 りました。
そして、嫉妬から自由になれば、心が楽になる、と気づきました。
私の母は、よく、父の姉(私の伯母)を「強欲だ」と批判していま した。
たとえば
・高価なカツラを買ってもらうなんて、親にたかってばっかり(※ 私の伯母は毛髪が若くして薄かったらしい)
・お姉さん、家の食器、あれも欲しい、これも欲しいって言ってる 。高いやつばかり。
・お父さん(私の父)が亡くなったからなんて、家を追い出そうと するなんて。
相続財産を狙っているのね。
と言っていました。
いま思うと、母は、伯母がうらやましかったのかもしれません。
母は、自身の母親(私の母方の祖母)を結婚前に亡くしていて、
母親に甘えるということができませんでした。
(母方の祖父も、母が40歳前後のときに亡くなっています)
だから、カツラを買ってもらうのも、食器をおねだりできるのも、
「弟(私の父)も亡くなったし、家を売って、パパ・ママ(私の祖 父母)を
老人ホームに入れちゃいましょうよ」と物怖じせずに意見を言える のも。
母にはできないことでした。
他にも、私の母は伯母について、
・子どもを私に押し付けて、お義母さん(私の祖母)にデパートで 色々買ってもらって、ずるい。
私には、お礼も、ねぎらいの言葉もないのに。
・散々私に子どもを押し付けたくせに、娘(私)のことは預かりも しない。
と、よく怒っていました。
これも、母は伯母のことがうらやましかったのかもしれません。
私の母は、子ども1人に先立たれ、もう1人は流産しています。3 人中、私だけが育ちました。
一方、伯母は子宝に恵まれて、3人の子どもをさずかりました。
伯母の夫は裕福で、専業主婦であったり、縁故でゆったりと事務パ ートをしたり、
趣味の着物や手芸を楽しみ、優雅な有閑マダムでした。
それに引き換え、私の父の収入は少なかったので、忙しくパートを して、
私の祖母が一切家事をしてくれないので、家事にも追われる。
だから、「子育てが忙しいの」と、私を預からないのに、自分は子 どもを預けて、
母親に甘えることができる伯母が、うらやましかったのだと思いま す。
そういった、伯母への嫉妬が、歪んだ形で、
伯母の子どもたち、つまり、私のいとこへの批判につながったのだ と思います。
一番上の従姉は、(母曰く)ギャルっぽい見た目で、合コンに繰り 出し、携帯を頻繁に変えていました。
だから、
・チャラチャラしていて、いやらしい。
・携帯も、新しい端末に憧れてすぐに変える。
と、批判していました。
私にとっては、「年上の素敵なお姉さん」で(幼稚園児が先生に憧 れるようなものです)、
母からしたら「ギャルっぽい見た目」でも、私にとっては巻き髪で 茶髪でお化粧が上手で憧れだったし、
ぬいぐるみを使って遊んでくれる、優しいお姉さんでした。
亡くなった父にとって、彼女は最初の姪ということもあり、父は彼 女をかわいがっていました。
小姑(私の伯母)の娘なのに、夫(私の父)に愛され、娘(私)に も慕われる、
という状況が腹立たしかったのかもしれません。
携帯も、自分は古い端末をずっと使っているのに、要領よくキャン ペーンを使って乗り換えているのが、
妬ましかったのかもしれません。
3人のいとこに対する、学歴を小ばかにする言動は、すさまじいも のでした。
・小さい頃は、優秀、優秀って、お義父さん・お義母さん(私の祖 父母)もほめてたけど、
結局、一番いい大学に行ったのは、うちの娘よ。
・教育費かけて、本当にムダだったわね。
・中身空っぽのくせに、上っ面だけがいいんだから。
こういった発言も、
・自身より伯母のほうが学歴が上
・裕福な伯母が、子どもに潤沢に教育費をかけたこと
・祖父母がいとこ(伯母の子ども)を溺愛したこと
について、嫉妬していたからかもしれません。
私の母は、母方の伯父・伯母夫妻についても、悪口を言っていまし た。
私の母は、伯父について、
・○○(いい職業)に就けたのは、お父さん(私の母方の祖父)が 口利きしたからよ
・お父さんが早死にしたのは、性格のキツイ嫁(伯父の妻)と同居 させたからよ
・2世帯住宅の頭金をお父さんに出させて、すぐにお父さんが死ん で、
長男だからって遺産もらって、お父さんが死んで得したのはお兄さ んだわ
と言っていました。
伯母(母方の伯父の妻)については、
・働き続けたから、高収入かも知れないけれども、子どもを犠牲に したわね
・お母さん(伯母の母)が近くに住んでて、実家に甘え放題
と言っていました。
これも、
・母が寿退社後、パートしかできず、生涯賃金が下がったこと
・大好きな父(私の母方の祖父)と過ごす時間が少なかったこと
・自分には帰る実家がないこと(母の両親は他界。伯母の両親は存 命)
といった、伯父・伯母夫妻の状況と比べると、
自分がみじめで、伯父・伯母夫妻が、うらやましかったからかもし れません。
(でも、私の母は、私の父が亡くなり、舅姑と険悪で、
娘が就職して社会的地位を手にすると、伯父・伯母を褒めて味方に しようとすることに。
こういう温度差も、私は嫌でした)
私についても、罵詈雑言を浴びせたことがあります。
過去の毒親体験記で、色々と書いたので、ここでは詳細は省きます が…。
これも、私のことがうらやましかったのかな、と思います。
・寿退社しなくてもいい時代に生まれ、生涯働ける職場に就職した
・小柄で愛嬌がある(※母は長身の美人なので、私をうらやましが っていた)
・裕福な父方の祖父母がいる(※生前贈与をしないケチで、私を支 配しようとしていましたが)
だから、
・男女雇用機会均等法が施行され、男女平等社会を夢見たのに、
寿退社して、家庭内で不平等を強いられた
という母からすると、私の「自由に生きている感じ」がうらやまし かったのかもしれません。
さて、長い前振り(実質、毒親体験記でしたね)でお話しました通 り、
「嫉妬」という感情は、人生を重苦しいものにしてしまう要素の一 つである、
と私は考えます。
そして、嫉妬から自由になれば、心は楽になり、解毒につながると 考えます。
母の悪口や暴言は、「相手が自分にはないものを持っている」とい う
嫉妬から生まれたものではないか、と思います。
でも、私からすると、母には素敵なものがたくさんあったと思いま す。
・優しい夫(私の父)
・飢えなくて済む収入
・元気な娘(私)
それだけでなく、あたたかい布団も、洋服も、お風呂も、「生活」 がありました。
それでも、母が、
・私は、お金がない。自由に洋服を買うこともできない
・お義母さん(私の祖母)が家事をしてくれない
・お義父さん(私の祖父)から方言や料理を批判される
と言っていたのは、
・自分の人生を自分で選んだ、という納得感
・自分の人生を肯定する、自己肯定感
がなかったからだと思います。
寿退社をしたのは、義祖父(私の父方の曽祖父)が辞めろと言った からだし、
同居をしたのは、夫(私の父)が失業したからだし、
家の居心地が悪いのは、舅姑を敬う日本の文化に縛られているから だし…。
そんなふうに、母は人生に対して、
「私が望んでこうなったんじゃない」という哀しみがあったのかも しれません。
有閑マダムの伯母(私の父の姉)や、キャリアウーマンの伯母(母 方の伯父の妻)を見ると、
貧しくて洋服を買えないのも、惨めな気持ちなのも…と、
自分の人生を肯定することができなかったのかもしれません。
もし、私の母が、
・愛する人と結婚するために、寿退社して、義理の両親との同居を 受け入れた
・低収入でも、失業しても、夫のことが好きだ
と現状を受け入れるなり、あるいは、
・本当に義理の両親が嫌いだし、手に職をつけて、離婚しよう
と人生の選択に責任を持つことができれば、母の言動も変わったの ではないかと思います。
嫉妬ではなく、
「私は私、あなたはあなた。みんな違って、それがいい」という、
自分の人生も、相手の人生も、肯定することができたのではないか 、と思います。
かく言う私も、他者の人生に「嫉妬」していたことがありました。
いや、前ほど嫉妬は強くありませんが、いまも、他人がうらやまし くなります。
・両親がいて、うらやましい。
・実家が裕福で、うらやましい。
・トラウマがなくて、うらやましい。
片親、貧乏、家庭内DVでも、私は頑張っているのに、認められな い。
そうすると、他の人がもっとうらやましくなることに加えて、
・私はこんなに頑張っているのに、どうして認めてもらえないんだ ろう。
・私を認めてほしい、もっと褒めてほしい。
・愛してるって、誰かに言ってほしい…。
と、承認や共感を強く求めるようになりました。
今も、「愛飢え子」な自分がひょっこりと出てくるので、やっかい です(笑)
今も、「悔しい!!」と思うことはあります。
けれども、
・私は、自分から望んで、親と絶縁した。
・私は、いまの自分の仕事が大好きだ。
・私は、この穏やかな生活が大好きだ。
と、「自分で自分の人生を選んできて、この人生が大好きだ」と思 っています。
もちろん、家族がいい人で、お金があれば、
もっと簡単に幸せになれたかもしれません。
楽して幸せになってんなコノヤローと、人が妬ましくなることもあ ります(笑)
でも、もし、困難を乗り越えて、選択を積み重ねなければ、
私は、「いまの私」になれなかったかもしれません。
もちろん「別の私」でも、そこには、そこの、幸せがあったかもし れません。
けれども、私は、「いまの自分」が好きで、「いまの幸せ」に満足 しつつ、
「もっと幸せな自分」になれるかもしれないと、飽くなき探求をし ています。
生きてる。それだけで、すごいことじゃん。
大丈夫。このままでもいい。変わってもいい。大丈夫。
そうやって、自分の人生を肯定することができて、
今の私は、前より自由です。
「うらやましい」という嫉妬心も、認めて、受け入れています。
否定しなくていい。感情は、自分の一部だから。
ちゃんと、自分の気持ちに気づいてあげる。自分をいたわる。
「嫉妬」にとらわれない私は、前にも増して、自由になりました。
今日は、解毒方法ということで、「嫉妬からの自由」について
私の母は、私の父方の親族や、母方の親族、そして私自身について
様々な悪口を言ってきました。
悪口を聞いた時も、聞いた後も、嫌な気持ちになりました。
いまも、ふと思い出すと、モヤモヤします。
けれども、最近、「なぜ、母はあんなひどいことを言ったのだろう
と考えると、「母は嫉妬していたのかもしれない」という考えに至
そして、嫉妬から自由になれば、心が楽になる、と気づきました。
私の母は、よく、父の姉(私の伯母)を「強欲だ」と批判していま
たとえば
・高価なカツラを買ってもらうなんて、親にたかってばっかり(※
・お姉さん、家の食器、あれも欲しい、これも欲しいって言ってる
・お父さん(私の父)が亡くなったからなんて、家を追い出そうと
相続財産を狙っているのね。
と言っていました。
いま思うと、母は、伯母がうらやましかったのかもしれません。
母は、自身の母親(私の母方の祖母)を結婚前に亡くしていて、
母親に甘えるということができませんでした。
(母方の祖父も、母が40歳前後のときに亡くなっています)
だから、カツラを買ってもらうのも、食器をおねだりできるのも、
「弟(私の父)も亡くなったし、家を売って、パパ・ママ(私の祖
老人ホームに入れちゃいましょうよ」と物怖じせずに意見を言える
母にはできないことでした。
他にも、私の母は伯母について、
・子どもを私に押し付けて、お義母さん(私の祖母)にデパートで
私には、お礼も、ねぎらいの言葉もないのに。
・散々私に子どもを押し付けたくせに、娘(私)のことは預かりも
と、よく怒っていました。
これも、母は伯母のことがうらやましかったのかもしれません。
私の母は、子ども1人に先立たれ、もう1人は流産しています。3
一方、伯母は子宝に恵まれて、3人の子どもをさずかりました。
伯母の夫は裕福で、専業主婦であったり、縁故でゆったりと事務パ
趣味の着物や手芸を楽しみ、優雅な有閑マダムでした。
それに引き換え、私の父の収入は少なかったので、忙しくパートを
私の祖母が一切家事をしてくれないので、家事にも追われる。
だから、「子育てが忙しいの」と、私を預からないのに、自分は子
母親に甘えることができる伯母が、うらやましかったのだと思いま
そういった、伯母への嫉妬が、歪んだ形で、
伯母の子どもたち、つまり、私のいとこへの批判につながったのだ
一番上の従姉は、(母曰く)ギャルっぽい見た目で、合コンに繰り
だから、
・チャラチャラしていて、いやらしい。
・携帯も、新しい端末に憧れてすぐに変える。
と、批判していました。
私にとっては、「年上の素敵なお姉さん」で(幼稚園児が先生に憧
母からしたら「ギャルっぽい見た目」でも、私にとっては巻き髪で
ぬいぐるみを使って遊んでくれる、優しいお姉さんでした。
亡くなった父にとって、彼女は最初の姪ということもあり、父は彼
小姑(私の伯母)の娘なのに、夫(私の父)に愛され、娘(私)に
という状況が腹立たしかったのかもしれません。
携帯も、自分は古い端末をずっと使っているのに、要領よくキャン
妬ましかったのかもしれません。
3人のいとこに対する、学歴を小ばかにする言動は、すさまじいも
・小さい頃は、優秀、優秀って、お義父さん・お義母さん(私の祖
結局、一番いい大学に行ったのは、うちの娘よ。
・教育費かけて、本当にムダだったわね。
・中身空っぽのくせに、上っ面だけがいいんだから。
こういった発言も、
・自身より伯母のほうが学歴が上
・裕福な伯母が、子どもに潤沢に教育費をかけたこと
・祖父母がいとこ(伯母の子ども)を溺愛したこと
について、嫉妬していたからかもしれません。
私の母は、母方の伯父・伯母夫妻についても、悪口を言っていまし
私の母は、伯父について、
・○○(いい職業)に就けたのは、お父さん(私の母方の祖父)が
・お父さんが早死にしたのは、性格のキツイ嫁(伯父の妻)と同居
・2世帯住宅の頭金をお父さんに出させて、すぐにお父さんが死ん
長男だからって遺産もらって、お父さんが死んで得したのはお兄さ
と言っていました。
伯母(母方の伯父の妻)については、
・働き続けたから、高収入かも知れないけれども、子どもを犠牲に
・お母さん(伯母の母)が近くに住んでて、実家に甘え放題
と言っていました。
これも、
・母が寿退社後、パートしかできず、生涯賃金が下がったこと
・大好きな父(私の母方の祖父)と過ごす時間が少なかったこと
・自分には帰る実家がないこと(母の両親は他界。伯母の両親は存
といった、伯父・伯母夫妻の状況と比べると、
自分がみじめで、伯父・伯母夫妻が、うらやましかったからかもし
(でも、私の母は、私の父が亡くなり、舅姑と険悪で、
娘が就職して社会的地位を手にすると、伯父・伯母を褒めて味方に
こういう温度差も、私は嫌でした)
私についても、罵詈雑言を浴びせたことがあります。
過去の毒親体験記で、色々と書いたので、ここでは詳細は省きます
これも、私のことがうらやましかったのかな、と思います。
・寿退社しなくてもいい時代に生まれ、生涯働ける職場に就職した
・小柄で愛嬌がある(※母は長身の美人なので、私をうらやましが
・裕福な父方の祖父母がいる(※生前贈与をしないケチで、私を支
だから、
・男女雇用機会均等法が施行され、男女平等社会を夢見たのに、
寿退社して、家庭内で不平等を強いられた
という母からすると、私の「自由に生きている感じ」がうらやまし
さて、長い前振り(実質、毒親体験記でしたね)でお話しました通
「嫉妬」という感情は、人生を重苦しいものにしてしまう要素の一
と私は考えます。
そして、嫉妬から自由になれば、心は楽になり、解毒につながると
母の悪口や暴言は、「相手が自分にはないものを持っている」とい
嫉妬から生まれたものではないか、と思います。
でも、私からすると、母には素敵なものがたくさんあったと思いま
・優しい夫(私の父)
・飢えなくて済む収入
・元気な娘(私)
それだけでなく、あたたかい布団も、洋服も、お風呂も、「生活」
それでも、母が、
・私は、お金がない。自由に洋服を買うこともできない
・お義母さん(私の祖母)が家事をしてくれない
・お義父さん(私の祖父)から方言や料理を批判される
と言っていたのは、
・自分の人生を自分で選んだ、という納得感
・自分の人生を肯定する、自己肯定感
がなかったからだと思います。
寿退社をしたのは、義祖父(私の父方の曽祖父)が辞めろと言った
同居をしたのは、夫(私の父)が失業したからだし、
家の居心地が悪いのは、舅姑を敬う日本の文化に縛られているから
そんなふうに、母は人生に対して、
「私が望んでこうなったんじゃない」という哀しみがあったのかも
有閑マダムの伯母(私の父の姉)や、キャリアウーマンの伯母(母
貧しくて洋服を買えないのも、惨めな気持ちなのも…と、
自分の人生を肯定することができなかったのかもしれません。
もし、私の母が、
・愛する人と結婚するために、寿退社して、義理の両親との同居を
・低収入でも、失業しても、夫のことが好きだ
と現状を受け入れるなり、あるいは、
・本当に義理の両親が嫌いだし、手に職をつけて、離婚しよう
と人生の選択に責任を持つことができれば、母の言動も変わったの
嫉妬ではなく、
「私は私、あなたはあなた。みんな違って、それがいい」という、
自分の人生も、相手の人生も、肯定することができたのではないか
かく言う私も、他者の人生に「嫉妬」していたことがありました。
いや、前ほど嫉妬は強くありませんが、いまも、他人がうらやまし
・両親がいて、うらやましい。
・実家が裕福で、うらやましい。
・トラウマがなくて、うらやましい。
片親、貧乏、家庭内DVでも、私は頑張っているのに、認められな
そうすると、他の人がもっとうらやましくなることに加えて、
・私はこんなに頑張っているのに、どうして認めてもらえないんだ
・私を認めてほしい、もっと褒めてほしい。
・愛してるって、誰かに言ってほしい…。
と、承認や共感を強く求めるようになりました。
今も、「愛飢え子」な自分がひょっこりと出てくるので、やっかい
今も、「悔しい!!」と思うことはあります。
けれども、
・私は、自分から望んで、親と絶縁した。
・私は、いまの自分の仕事が大好きだ。
・私は、この穏やかな生活が大好きだ。
と、「自分で自分の人生を選んできて、この人生が大好きだ」と思
もちろん、家族がいい人で、お金があれば、
もっと簡単に幸せになれたかもしれません。
楽して幸せになってんなコノヤローと、人が妬ましくなることもあ
でも、もし、困難を乗り越えて、選択を積み重ねなければ、
私は、「いまの私」になれなかったかもしれません。
もちろん「別の私」でも、そこには、そこの、幸せがあったかもし
けれども、私は、「いまの自分」が好きで、「いまの幸せ」に満足
「もっと幸せな自分」になれるかもしれないと、飽くなき探求をし
生きてる。それだけで、すごいことじゃん。
大丈夫。このままでもいい。変わってもいい。大丈夫。
そうやって、自分の人生を肯定することができて、
今の私は、前より自由です。
「うらやましい」という嫉妬心も、認めて、受け入れています。
否定しなくていい。感情は、自分の一部だから。
ちゃんと、自分の気持ちに気づいてあげる。自分をいたわる。
「嫉妬」にとらわれない私は、前にも増して、自由になりました。