毒親(家族)体験記―なぜか怒られる―
こんにちは。
今日は、私の毒親体験記ということで、
「なぜか怒られる」というお話をします。
最近、のびのび育った友人といる機会が多いからか、
のびのびしている友人を見ると、
「そういえば私、なんだかんだ、けっこう怒られていたな…」
と思い出すことが多いんです(笑)
たとえば。
小さいころ、家に遊びに来たいとこ(父の姉の子どもたち)と
食器洗いをしていました。
そしたら、母親に、「ちゃんと洗わないと、ダメじゃないの!」
と大声で怒られた挙句、洗っていた食器をひったくられて、
「水で泡を流すだけじゃなくて、こうやって手を使って、
洗剤をしっかり落とさないと、ダメじゃないの!!!」と。
このとき、私はちゃんと洗っていたんです。
いとこたちがキッチンを去った後、私は母に聞きました。
「ねぇ、お母さん。私、ちゃんと、手を使って洗ってたよ? なんで怒るの?」
母は、こう答えました。
「それはね、いとこたちが、ちゃんと洗わないからよ」と。
私の母は、本当は、いとこたちに注意したかったのです。
しかし、相手が、母にとっては「夫の姉の子ども」だから、気を使って言えない。
だから、子どもである私に怒ることで、指導をしたかったのです。
でも、私は人前で恥をかかされて嫌な思いをするし、
いとこたちは自分が注意されたとは思っていない。
別の例です。これも食器。
私の父方の祖母は、元々食器についた洗剤をさっと洗い流すだけの人で、
その上、年老いて視力が悪くなってからは、目視で落としていた洗剤も雑になり、
泡が残った食器を放置することもありました。
そこで、私に向かって大声で、こう怒鳴るのです。
「ちょっと!!! 泡も油も残っているじゃない?!
あんた、ちゃんと、洗ったの?! 本当にだらしない子ね!!!」と。
これも、姑には気を使って注意できないから、
娘の私に怒鳴って、「姑に聞こえたらいいな」という母の作戦。
結局、私の母は、自分が攻撃しずらい相手には怒鳴れない。
だから、イライラしたら、私を「ダメな娘」にして、
私を怒鳴って、留飲を下げる。
「母を注意する娘」という安全地帯の中で、
「注意する」という建て前で娘を怒鳴ってストレス解消。
そして、娘のフォローをしない(笑)
ごめんね、なんて謝らないし、
娘が「何で怒るの?」と聞かない限り、怒った理由も言わない。
怒った理由も意味不明。結局、自分がストレス解消してスッキリしたいだけ。
私はこういう経験があるので、「怒り」という感情を表に出すことが苦手です。
不快に思っている、ということを示せないので、どんどん我慢してしまう。
後輩や部下の言動について「叱る」ということも苦手です。
人のしりぬぐいをするから、自分の負担が増えてしまう。
喜怒哀楽、という言葉があるように、「怒り」は自然ですし、
相手のことを思うのであれば、叱ることも大事な仕事。
仕事については、コミュニケーションやコーチングの本を読んで、
少しは苦手意識を克服することができたものの、
プライベートな関係においては、苦手な気持ちの一つです。
街中で子どもを叱っているお母さんを見ると、
「叱っている」のか「怒っている」のか、真剣に悩んでしまうくらい、
私は敏感です(笑)
子どもをしつけられる母親になれるんだろうか…とたまに心配になります。
今日は、ちょっと友人の言動にビックリしてしまったので、
「怒り」について敏感な自分について語ってしまいました。
今日は、私の毒親体験記ということで、
「なぜか怒られる」というお話をします。
最近、のびのび育った友人といる機会が多いからか、
のびのびしている友人を見ると、
「そういえば私、なんだかんだ、けっこう怒られていたな…」
と思い出すことが多いんです(笑)
たとえば。
小さいころ、家に遊びに来たいとこ(父の姉の子どもたち)と
食器洗いをしていました。
そしたら、母親に、「ちゃんと洗わないと、ダメじゃないの!」
と大声で怒られた挙句、洗っていた食器をひったくられて、
「水で泡を流すだけじゃなくて、こうやって手を使って、
洗剤をしっかり落とさないと、ダメじゃないの!!!」と。
このとき、私はちゃんと洗っていたんです。
いとこたちがキッチンを去った後、私は母に聞きました。
「ねぇ、お母さん。私、ちゃんと、手を使って洗ってたよ? なんで怒るの?」
母は、こう答えました。
「それはね、いとこたちが、ちゃんと洗わないからよ」と。
私の母は、本当は、いとこたちに注意したかったのです。
しかし、相手が、母にとっては「夫の姉の子ども」だから、気を使って言えない。
だから、子どもである私に怒ることで、指導をしたかったのです。
でも、私は人前で恥をかかされて嫌な思いをするし、
いとこたちは自分が注意されたとは思っていない。
別の例です。これも食器。
私の父方の祖母は、元々食器についた洗剤をさっと洗い流すだけの人で、
その上、年老いて視力が悪くなってからは、目視で落としていた洗剤も雑になり、
泡が残った食器を放置することもありました。
そこで、私に向かって大声で、こう怒鳴るのです。
「ちょっと!!! 泡も油も残っているじゃない?!
あんた、ちゃんと、洗ったの?! 本当にだらしない子ね!!!」と。
これも、姑には気を使って注意できないから、
娘の私に怒鳴って、「姑に聞こえたらいいな」という母の作戦。
結局、私の母は、自分が攻撃しずらい相手には怒鳴れない。
だから、イライラしたら、私を「ダメな娘」にして、
私を怒鳴って、留飲を下げる。
「母を注意する娘」という安全地帯の中で、
「注意する」という建て前で娘を怒鳴ってストレス解消。
そして、娘のフォローをしない(笑)
ごめんね、なんて謝らないし、
娘が「何で怒るの?」と聞かない限り、怒った理由も言わない。
怒った理由も意味不明。結局、自分がストレス解消してスッキリしたいだけ。
私はこういう経験があるので、「怒り」という感情を表に出すことが苦手です。
不快に思っている、ということを示せないので、どんどん我慢してしまう。
後輩や部下の言動について「叱る」ということも苦手です。
人のしりぬぐいをするから、自分の負担が増えてしまう。
喜怒哀楽、という言葉があるように、「怒り」は自然ですし、
相手のことを思うのであれば、叱ることも大事な仕事。
仕事については、コミュニケーションやコーチングの本を読んで、
少しは苦手意識を克服することができたものの、
プライベートな関係においては、苦手な気持ちの一つです。
街中で子どもを叱っているお母さんを見ると、
「叱っている」のか「怒っている」のか、真剣に悩んでしまうくらい、
私は敏感です(笑)
子どもをしつけられる母親になれるんだろうか…とたまに心配になります。
今日は、ちょっと友人の言動にビックリしてしまったので、
「怒り」について敏感な自分について語ってしまいました。