小ネター毒母との絶縁から半年ー
こんにちは。
今日は、小ネタということで、「毒母との絶縁から半年」
というテーマでお話いたします。
私は、2019年1月下旬に父方の祖父母と絶縁しました。
そして、2019年9月下旬に母親と絶縁しました。
※完全な音信不通(電話番号、メアド変更がすべて完了)は、20 19年10月上旬です。
いままで、毒母との絶縁から日が経っていないこともあり、
具体的な時期をオープンにできませんでしたが、
毒母との絶縁から半年が経ったことや、
私の気持ちの整理がついたこともあり、
今回、絶縁時期をオープンにした上で、
これまでの気持ちの変遷や、現在の生活・心境について、お話しま す。
毒祖父母との絶縁当初、母のことは「毒母」と思いつつも、
彼女のことを切ることはできませんでした。
私の母は、確かに、私が小学生の時から毒親ではあったものの、
毒親の毒要素がひどくなったのは、私の父が亡くなってからでした 。
「父が亡くなり、守ってくれる人がいなくなったことで、
毒祖父母からの攻撃により、毒母の毒要素が増したのではないか」
「毒母は、確かに毒母ではあるけれども、彼女も被害者なのではな いか」
といった具合に、彼女に対して同情する部分もあったため、
彼女のことを一方的に断罪することができませんでした。
「お母さんが嫌い」とは、小学生の頃から思っていました。
「お母さんといつか距離を置きたい」とは、大学生の頃から思って いました。
「母と絶縁しよう」と考え、絶縁方法を検討し始めたのは、社会人 2年目の頃でした。
けれども、どうしても、「母がかわいそう」という思いもあり、
踏ん切りがつきませんでした。
そのような中、毒祖父母と2019年1月に絶縁することになり、
母との2人暮らしを始めました。
2人暮らしは、とてもつらかったです。
けれども、その中で、私は、母のことを「本当に嫌いだ」
「もう、無理。縁を切ろう」という思いを強めていきました。
そして、2019年のゴールデンウィーク。
母が、「家を出ていく。2DKのマンションの家賃、一人で払えば ?」と
私を脅迫したことをきっかけに、私は、
「絶縁しよう。本当に絶縁しよう」と思いました。
そのゴールデンウィークでの事件は、母が一度は謝罪したので、
絶縁を思いとどまりました。
しかし、2019年8月、今度は母が本気で私を傷つけるために
「彼氏と結婚するから、家を出てく。このマンションも解約よ」
と私から住居を巻き上げたことで、
「今度こそ、本当の、本当に、もう、無理だ」と思いました。
そして、私は、2019年9月に、新居を探していく中で、
具体的な絶縁に向けたプロセスについて検討をまとめ、
絶縁しました。
2019年10月は、絶縁への迷いもありました。
けれども、ブログで、
・絶縁方法について発信したり
・毒親体験記を書く中で、毒親の言動について振り返ったり
・自分の気持ちの動きについて記述したり
するうちに、自分の気持ちが整理されていきました。
また、絶縁して、半年が経ち、
穏やかな日々を過ごす中で、心の底から
「絶縁してよかった…」という思いが強くなるに従い、
「絶縁してよかった」と、絶縁への迷いが弱まりました。
絶縁したばかりの頃は、毒祖父母及び毒母に追われていたという事 情もあり、
自宅に帰るとき、周囲をキョロキョロ見渡し、おびえていました。
物音や車の音も、怖かったです。
興信所を平気で使う人たちなので、「住まいがばれたらどうしよう 」と怖かったです。
いまも、一定の緊張感はありますが、
以前ほどの、過度な怯えはありません。
落ち着いて暮らしています。
やっと、毒家族について考える時間も減ってきて、
自由な気持ちで、暮らしています。
最近、趣味がとても楽しいんです。
日常生活を過ごしているだけで幸せだし、
日常生活の中で「絶縁」という事実を忘れていることがほとんどで す。
毒母との絶縁から、半年が経ちました。
いまは、罪悪感は一切ありません。迷いもありません。
「絶縁してよかった」
心から、そのように思っています。
今日は、小ネタということで、「毒母との絶縁から半年」
というテーマでお話いたします。
私は、2019年1月下旬に父方の祖父母と絶縁しました。
そして、2019年9月下旬に母親と絶縁しました。
※完全な音信不通(電話番号、メアド変更がすべて完了)は、20
いままで、毒母との絶縁から日が経っていないこともあり、
具体的な時期をオープンにできませんでしたが、
毒母との絶縁から半年が経ったことや、
私の気持ちの整理がついたこともあり、
今回、絶縁時期をオープンにした上で、
これまでの気持ちの変遷や、現在の生活・心境について、お話しま
毒祖父母との絶縁当初、母のことは「毒母」と思いつつも、
彼女のことを切ることはできませんでした。
私の母は、確かに、私が小学生の時から毒親ではあったものの、
毒親の毒要素がひどくなったのは、私の父が亡くなってからでした
「父が亡くなり、守ってくれる人がいなくなったことで、
毒祖父母からの攻撃により、毒母の毒要素が増したのではないか」
「毒母は、確かに毒母ではあるけれども、彼女も被害者なのではな
といった具合に、彼女に対して同情する部分もあったため、
彼女のことを一方的に断罪することができませんでした。
「お母さんが嫌い」とは、小学生の頃から思っていました。
「お母さんといつか距離を置きたい」とは、大学生の頃から思って
「母と絶縁しよう」と考え、絶縁方法を検討し始めたのは、社会人
けれども、どうしても、「母がかわいそう」という思いもあり、
踏ん切りがつきませんでした。
そのような中、毒祖父母と2019年1月に絶縁することになり、
母との2人暮らしを始めました。
2人暮らしは、とてもつらかったです。
けれども、その中で、私は、母のことを「本当に嫌いだ」
「もう、無理。縁を切ろう」という思いを強めていきました。
そして、2019年のゴールデンウィーク。
母が、「家を出ていく。2DKのマンションの家賃、一人で払えば
私を脅迫したことをきっかけに、私は、
「絶縁しよう。本当に絶縁しよう」と思いました。
そのゴールデンウィークでの事件は、母が一度は謝罪したので、
絶縁を思いとどまりました。
しかし、2019年8月、今度は母が本気で私を傷つけるために
「彼氏と結婚するから、家を出てく。このマンションも解約よ」
と私から住居を巻き上げたことで、
「今度こそ、本当の、本当に、もう、無理だ」と思いました。
そして、私は、2019年9月に、新居を探していく中で、
具体的な絶縁に向けたプロセスについて検討をまとめ、
絶縁しました。
2019年10月は、絶縁への迷いもありました。
けれども、ブログで、
・絶縁方法について発信したり
・毒親体験記を書く中で、毒親の言動について振り返ったり
・自分の気持ちの動きについて記述したり
するうちに、自分の気持ちが整理されていきました。
また、絶縁して、半年が経ち、
穏やかな日々を過ごす中で、心の底から
「絶縁してよかった…」という思いが強くなるに従い、
「絶縁してよかった」と、絶縁への迷いが弱まりました。
絶縁したばかりの頃は、毒祖父母及び毒母に追われていたという事
自宅に帰るとき、周囲をキョロキョロ見渡し、おびえていました。
物音や車の音も、怖かったです。
興信所を平気で使う人たちなので、「住まいがばれたらどうしよう
いまも、一定の緊張感はありますが、
以前ほどの、過度な怯えはありません。
落ち着いて暮らしています。
やっと、毒家族について考える時間も減ってきて、
自由な気持ちで、暮らしています。
最近、趣味がとても楽しいんです。
日常生活を過ごしているだけで幸せだし、
日常生活の中で「絶縁」という事実を忘れていることがほとんどで
毒母との絶縁から、半年が経ちました。
いまは、罪悪感は一切ありません。迷いもありません。
「絶縁してよかった」
心から、そのように思っています。