私の毒親(家族)体験記ーずっと根に持つ毒母ー
こんにちは。
今日は、私の毒親(家族)体験記ということで、
「ずっと根に持つ毒母」についてお話します。
私の母は、当事者と解決済みであったり、
相手が故人で解決しようがないことについて、
ずっとずっと根に持ち、
関係のない私に何度も何度も愚痴を言い続けました。
「そんなこと、適当に相槌を打って、済ませればいいじゃん」
と無責任なことを言う人もいますが、
毒家族においては「相槌=同意・賛同」となってしまうので、
毒家族間での言い合いになったときに、
勝手に毒母の味方としてカウントされてしまうことも。
また、15年も同じ愚痴を聞かされると、
「いい加減にしてくれ」という気持ちになります(笑)
今日は、私の中でほぼネタになりかけている、
母のエピソードについて、お話します。
○「大したもの着てないわね」って言われた。
私の母は、職場の上司の紹介で、私の父とお見合いして結婚しまし た。
さて、私の父のプロポーズ後、父の両親に会いに行った私の母。
後日、母は「お義母さん、なんて言ってた?」と私の父に聞いたと ころ、
父は「大したもの着てないわね、って言ってた」とストレートに伝 えてしまいました(笑)
母はブチ切れて、その場で父に破談を申し渡し、
上司にも破談の旨を伝えたところ、その上司の上司(私の曽祖父) にも呼び出され、
「お嬢さん同士だと困るから(=私の父の母はお嬢さん育ちなので 、嫁もお嬢さんだと家庭崩壊)」
とお願いされ、どうしてもと請われて、結婚を決めたとのことでし た(毒母談)。
で、母が何度も強調するのが、
「お義母さんに、『大したもの着てないわね』って言われた」とい うこと。
私の母は、クリスチャン・ディオ●ルのスーツに、
MORIE H●NAのカバンで挨拶に行っており、結構上品です。
私が母に、
・いい洋服を着ているのが分からない人を相手にしても仕方がない よ。
・祖母は働いたことがないから、自分でスーツを買うことの凄さが わからないんだよ。
と励ますと、少し母は機嫌が良くなるのですが、
それでも母は不満。
「なによ、お嬢さん同士だと困るって。それじゃまるで、私が、
お嬢さんじゃないって言われているのと一緒じゃないの」
と言って、キレるのです。
私にキレずに、私の曽祖父にキレてほしいです。25年前に他界し ていますが(笑)
そこで私が、母に、
・ひいおじいさんは、お母さんのことを褒めてたんじゃない?
働いていて、社会や世間を知っている人だって。
・お母さんは、旧家の名家出身なのに、失礼だね。
と励ますと、母の機嫌が良くなります。
しかし、それもつかの間で、母の、私の父方親族への悪口がエンド レスループです(笑)
この件は、10年ほど前に、祖父母と母と私と4人で話した時に、
祖母「そんなことを言っていないわ。息子(私の父)の伝え間違い よ」
祖父「うちは質素な家庭だから、そんなことは言わない。
『質素でうちに合ってるね』って言ったのを、息子が
『大したもの着てない』って勘違いしたんだろう」
という話になっています。
母は、「主人(私の父)は、そんな間違いをするはずがない」と主 張しており、
この祖父母とのやり取り以降も、10年近くずっと、
このネタで祖父母のことを悪く言っています。
なんども、なんども、この話をしていた母。
いったい、彼女は何をしたかったんでしょうね。
そんなに結婚前や結婚当初からヤバい家庭だと思っていたなら、
結婚しなければよかったのに…と、私は思っています。
○父(私の母方の祖父)の葬式に、来てもらえなかった。
私の母方の祖父は、私が11歳の頃に亡くなっています。
亡くなったその日、私は父が運転する車で母の田舎に行きました。
それから数日後に、母方の祖父の通夜・葬式が営まれました。
私の父方の祖父母は、通夜には来ましたが、葬式は欠席。
理由は、
・祖父:葬式の日に、勤務先の上司とゴルフの予定があった。
・祖母:祖父の運転がないと出かけられない(※祖母は電車もバス も乗れません)。
でした。
※私の祖母は、メンタルや知的に困難があるのではなく、ただ単に 、
お金を払って公共交通機関に乗ることができません。
(券売機での切符の買い方が分からず、
目的の駅で降りるということもできないため、電車に乗れません。
自宅のテレビやクーラーのリモコン、洗濯機の設定ができないくら い、
私の父方の祖母は、機械に弱いのです)
これについて、私の母は激怒。
・実家で肩身の狭い思いをした。
・私を犬猫をもらうような感覚でもらったんだろう。
・親戚付き合いしてもらえてない。ないがしろにされた。
あくまで、自分がかわいそう、という文脈なんです(笑)
私の母は、私の父に、酔ってはこの件について、文句を言っていま した。
父はそのたびに「ごめんね」と謝っていました。
この件についての追及が厳しくなったのは、父(母の夫)の死後。
何度も、何度も、この件をネタに私に父方の祖父母の悪口を吹き込 み、
父方の祖父母とけんかになる度に俎上に載せていました。
私の父方の祖父母は、謝罪する気がないのですが、一応、
・祖父:すまないねぇ。でも、多忙な上司と、何度もリスケして決 まったゴルフだったんだ。
・祖母:主人(私の祖父)が葬儀に出られないって言うから、私だ け行くのも変だし。
と実質、言い訳はしています(本人たちは「謝ってやった」という 認識)。
このため、母がこの話題を持ち出すと、
「何度もしつこいな! 謝ってやっただろ!!」とブチギレる祖父。
キレる祖父に対し、「反省してないじゃないの!」と改めてブチギ レる母(笑)
私の母は、この話を、かれこれ15年近く、何度も何度も、
私に愚痴っていたのですが、何がしたかったのでしょうか。
理解できません。
○母(私の母方の祖母)を「職業婦人」とけなされた。
私の母方の祖母は、華道の先生をしていました。
(なお、母方の祖母は母が大学を卒業してすぐ、母が結婚する前に 、
若くして肺炎で亡くなっています)
私の父方の祖父は、華道の先生としての仕事を持っていた母方の祖 母を、
「職業婦人」と言ったことがあったそうです。
これに対して、母は激怒。
「職業婦人は『働いている卑しい女』という意味の、侮蔑用語だ。
母をけなされた」
職業婦人は、明治・大正時代に「OL」くらいの意味で使用されて いたようで、
昭和一桁生まれの父方の祖父は、「仕事をしていた女性」くらいの 意味で使ったようです。
しかし、母は「母をけなされた」と、激怒。
一応、祖父は、
「いや、『働いている女性』という意味で言っただけで、差別する 意図はない」
と言ったところ、引き続きキレる母に、
「なんで、そんな程度のことで気にするんだ。神経質なんじゃない か」と逆ギレ(笑)
以降、この話を持ち出しては「謝ってやっただろ。あんたは神経質 」と逆ギレする祖父と、
何度も怒っては、娘に祖父の悪口を垂れ流す母(笑)
挙げるとキリがないので、この辺で止めますが、
私の母は、10年も20年も、同じ愚痴を、
ずーっと言い続けていたのです。
母は、私の父方の親族に対しては、「被害者」だったのかもしれま せん。
けれども、私に、私の父方の親族の悪口を垂れ流し、
私に対しては、「加害者」でした。
別の記事でも書いていますが、
私には、悪口や愚痴を聞かない、という選択肢はありませんでした 。
「ひどいことをしているかもしれなけれども、私の父方の親族だか ら、悪く言わないでほしい」
と言えば、「私が悪いって言うの?! あんたは、私の味方じゃないの?!」と言われ、
「私のことを子ども扱いするのであれば、大人の友だちや、カウン セラーの方に相談してほしい」
と言えば、「私が悪いって言うの?! カウンセリングに行けだなんて、私を精神疾患扱いして!!」
と怒っていました。
「あなたって、本当に冷たい子よね。育ててやったのに」と言われ ます。
そして、延々と、私に、解決しようのない愚痴を垂れ流し続けるの です。
こんな状況が、10年、20年と続いていたので、
「もう、私の母は、変わらないだろうな…」と思っています。
だからこそ、
・毒母から逃げないと、自分に毒が蓄積してしまうと思ったし
・もし母と再会したら、絶縁のことを死ぬまでずっと持ち出すだろ う
と思い、
・一生、絶縁しよう
という結論に至りました。
時々、怖いな、と思うのが、
親しい友人に愚痴ってしまいそうになることです。
まるで、母が私に愚痴を垂れ流したように、
私が他者に、愚痴を垂れ流しそうになる…。
ゾッとします。
だから、できる限り、私は、友人には愚痴らず、
本当にしんどいときは、愚痴を聞くプロや家族問題のプロに、
お金を払って、話を聞いてもらうことにしています。
そして、そのプロとも、できるだけ親密にならないようにします。
相手との関係に錯覚を抱いたり、甘えたりしないようにするためで す。
いまは、毒母の毒素を抜いて、できる限り、
自分の中に堆積した毒素を他者にまき散らさないように、
日々心穏やかに過ごしているところです。
今日は、私の毒親(家族)体験記ということで、
「ずっと根に持つ毒母」についてお話します。
私の母は、当事者と解決済みであったり、
相手が故人で解決しようがないことについて、
ずっとずっと根に持ち、
関係のない私に何度も何度も愚痴を言い続けました。
「そんなこと、適当に相槌を打って、済ませればいいじゃん」
と無責任なことを言う人もいますが、
毒家族においては「相槌=同意・賛同」となってしまうので、
毒家族間での言い合いになったときに、
勝手に毒母の味方としてカウントされてしまうことも。
また、15年も同じ愚痴を聞かされると、
「いい加減にしてくれ」という気持ちになります(笑)
今日は、私の中でほぼネタになりかけている、
母のエピソードについて、お話します。
○「大したもの着てないわね」って言われた。
私の母は、職場の上司の紹介で、私の父とお見合いして結婚しまし
さて、私の父のプロポーズ後、父の両親に会いに行った私の母。
後日、母は「お義母さん、なんて言ってた?」と私の父に聞いたと
父は「大したもの着てないわね、って言ってた」とストレートに伝
母はブチ切れて、その場で父に破談を申し渡し、
上司にも破談の旨を伝えたところ、その上司の上司(私の曽祖父)
「お嬢さん同士だと困るから(=私の父の母はお嬢さん育ちなので
とお願いされ、どうしてもと請われて、結婚を決めたとのことでし
で、母が何度も強調するのが、
「お義母さんに、『大したもの着てないわね』って言われた」とい
私の母は、クリスチャン・ディオ●ルのスーツに、
MORIE H●NAのカバンで挨拶に行っており、結構上品です。
私が母に、
・いい洋服を着ているのが分からない人を相手にしても仕方がない
・祖母は働いたことがないから、自分でスーツを買うことの凄さが
と励ますと、少し母は機嫌が良くなるのですが、
それでも母は不満。
「なによ、お嬢さん同士だと困るって。それじゃまるで、私が、
お嬢さんじゃないって言われているのと一緒じゃないの」
と言って、キレるのです。
私にキレずに、私の曽祖父にキレてほしいです。25年前に他界し
そこで私が、母に、
・ひいおじいさんは、お母さんのことを褒めてたんじゃない?
働いていて、社会や世間を知っている人だって。
・お母さんは、旧家の名家出身なのに、失礼だね。
と励ますと、母の機嫌が良くなります。
しかし、それもつかの間で、母の、私の父方親族への悪口がエンド
この件は、10年ほど前に、祖父母と母と私と4人で話した時に、
祖母「そんなことを言っていないわ。息子(私の父)の伝え間違い
祖父「うちは質素な家庭だから、そんなことは言わない。
『質素でうちに合ってるね』って言ったのを、息子が
『大したもの着てない』って勘違いしたんだろう」
という話になっています。
母は、「主人(私の父)は、そんな間違いをするはずがない」と主
この祖父母とのやり取り以降も、10年近くずっと、
このネタで祖父母のことを悪く言っています。
なんども、なんども、この話をしていた母。
いったい、彼女は何をしたかったんでしょうね。
そんなに結婚前や結婚当初からヤバい家庭だと思っていたなら、
結婚しなければよかったのに…と、私は思っています。
○父(私の母方の祖父)の葬式に、来てもらえなかった。
私の母方の祖父は、私が11歳の頃に亡くなっています。
亡くなったその日、私は父が運転する車で母の田舎に行きました。
それから数日後に、母方の祖父の通夜・葬式が営まれました。
私の父方の祖父母は、通夜には来ましたが、葬式は欠席。
理由は、
・祖父:葬式の日に、勤務先の上司とゴルフの予定があった。
・祖母:祖父の運転がないと出かけられない(※祖母は電車もバス
でした。
※私の祖母は、メンタルや知的に困難があるのではなく、ただ単に
お金を払って公共交通機関に乗ることができません。
(券売機での切符の買い方が分からず、
目的の駅で降りるということもできないため、電車に乗れません。
自宅のテレビやクーラーのリモコン、洗濯機の設定ができないくら
私の父方の祖母は、機械に弱いのです)
これについて、私の母は激怒。
・実家で肩身の狭い思いをした。
・私を犬猫をもらうような感覚でもらったんだろう。
・親戚付き合いしてもらえてない。ないがしろにされた。
あくまで、自分がかわいそう、という文脈なんです(笑)
私の母は、私の父に、酔ってはこの件について、文句を言っていま
父はそのたびに「ごめんね」と謝っていました。
この件についての追及が厳しくなったのは、父(母の夫)の死後。
何度も、何度も、この件をネタに私に父方の祖父母の悪口を吹き込
父方の祖父母とけんかになる度に俎上に載せていました。
私の父方の祖父母は、謝罪する気がないのですが、一応、
・祖父:すまないねぇ。でも、多忙な上司と、何度もリスケして決
・祖母:主人(私の祖父)が葬儀に出られないって言うから、私だ
と実質、言い訳はしています(本人たちは「謝ってやった」という
このため、母がこの話題を持ち出すと、
「何度もしつこいな! 謝ってやっただろ!!」とブチギレる祖父。
キレる祖父に対し、「反省してないじゃないの!」と改めてブチギ
私の母は、この話を、かれこれ15年近く、何度も何度も、
私に愚痴っていたのですが、何がしたかったのでしょうか。
理解できません。
○母(私の母方の祖母)を「職業婦人」とけなされた。
私の母方の祖母は、華道の先生をしていました。
(なお、母方の祖母は母が大学を卒業してすぐ、母が結婚する前に
若くして肺炎で亡くなっています)
私の父方の祖父は、華道の先生としての仕事を持っていた母方の祖
「職業婦人」と言ったことがあったそうです。
これに対して、母は激怒。
「職業婦人は『働いている卑しい女』という意味の、侮蔑用語だ。
母をけなされた」
職業婦人は、明治・大正時代に「OL」くらいの意味で使用されて
昭和一桁生まれの父方の祖父は、「仕事をしていた女性」くらいの
しかし、母は「母をけなされた」と、激怒。
一応、祖父は、
「いや、『働いている女性』という意味で言っただけで、差別する
と言ったところ、引き続きキレる母に、
「なんで、そんな程度のことで気にするんだ。神経質なんじゃない
以降、この話を持ち出しては「謝ってやっただろ。あんたは神経質
何度も怒っては、娘に祖父の悪口を垂れ流す母(笑)
挙げるとキリがないので、この辺で止めますが、
私の母は、10年も20年も、同じ愚痴を、
ずーっと言い続けていたのです。
母は、私の父方の親族に対しては、「被害者」だったのかもしれま
けれども、私に、私の父方の親族の悪口を垂れ流し、
私に対しては、「加害者」でした。
別の記事でも書いていますが、
私には、悪口や愚痴を聞かない、という選択肢はありませんでした
「ひどいことをしているかもしれなけれども、私の父方の親族だか
と言えば、「私が悪いって言うの?! あんたは、私の味方じゃないの?!」と言われ、
「私のことを子ども扱いするのであれば、大人の友だちや、カウン
と言えば、「私が悪いって言うの?! カウンセリングに行けだなんて、私を精神疾患扱いして!!」
と怒っていました。
「あなたって、本当に冷たい子よね。育ててやったのに」と言われ
そして、延々と、私に、解決しようのない愚痴を垂れ流し続けるの
こんな状況が、10年、20年と続いていたので、
「もう、私の母は、変わらないだろうな…」と思っています。
だからこそ、
・毒母から逃げないと、自分に毒が蓄積してしまうと思ったし
・もし母と再会したら、絶縁のことを死ぬまでずっと持ち出すだろ
と思い、
・一生、絶縁しよう
という結論に至りました。
時々、怖いな、と思うのが、
親しい友人に愚痴ってしまいそうになることです。
まるで、母が私に愚痴を垂れ流したように、
私が他者に、愚痴を垂れ流しそうになる…。
ゾッとします。
だから、できる限り、私は、友人には愚痴らず、
本当にしんどいときは、愚痴を聞くプロや家族問題のプロに、
お金を払って、話を聞いてもらうことにしています。
そして、そのプロとも、できるだけ親密にならないようにします。
相手との関係に錯覚を抱いたり、甘えたりしないようにするためで
いまは、毒母の毒素を抜いて、できる限り、
自分の中に堆積した毒素を他者にまき散らさないように、
日々心穏やかに過ごしているところです。