毒親(家族)体験記ー毒母に言われて辛かった・辛い言葉ー

こんにちは。
今日は、毒親(家族)体験記ということで、
「毒母に言われて辛かった・辛い言葉」
というテーマでお話します。

ふとした瞬間に思い出しては悲しくなったり、
いまも、モヤモヤを抱えている言葉があります。
今日は、
・言われて辛かった言葉・されて辛かったこと
・どんな状況で言われたのか
・言われたときに思ったこと
・いまの気持ち・考え
という順番で、言われた言葉ごとに考えたいと思います。


「もう、こんな暮らし、楽しくない!!」

20194月と8月に言われました。
両方とも、毒母が、娘の名義で娘が多く家賃を支払っている家に住んでいることから、
「子どもに気を遣うなんて嫌だ」「肩身が狭い」と言い、
「もう、こんな暮らし、楽しくない!!」と私に絶叫しました。

言われた直後は、心がえぐられるような、
とても辛い気持ちになりました。
2DKで家賃が高い家を、私の単独名義で借りていたので、
「お母さんが、家賃の支払いを拒否したら」と思うと不安でしたし、
「私が多めに家賃を支払って、結構負担があるのに」と
経済的に負担しても、評価されないことに心が重くなりました。

いまは、そんなひどいことを平気で言える、
人の心を平気で傷つけることができる母に対して、
心から軽蔑しています。
それに、この発言は極めて卑怯だ、と思います。
なぜなら、毒母は自分の加害性を棚に上げて、
あたかも私一人が悪いかのような言いぶりをしたからです。


「私、あんたの引越先すら知らないのよ!」

20199月上旬に言われました。
8月末に毒母が私の住居の巻き上げを決めたので、
私は彼女に引越し先を教えず、引越準備を進めていました。

言われた直後は、「引越先を教えない私は、親不孝?」
と自分を責めました。

いまは、「この、罪悪感を煽る発言に負けずに、
引越し先を告げなくてよかった」と思っています。
また、住まいを巻き上げた人間(=加害者)に
引越し先を教えないのは当然です。
私の罪悪感を煽る発言をするなんて、本当に卑怯だと思います。


「あんた、交渉が得意なんでしょ?
  じゃあ、お得意の交渉で、大家さんに保証人なしで
  家に住み続けられるか、交渉してみたら?(バカにした笑み)」

20198月、母が、祖父母の遺産を相続することを渋る私にブチ切れて、
私が住むマンションの保証人をおりるよう、伯父(母の兄)に依頼をする、
と私に言いました。
それで、私が「保証人がないと家に住めない。
私から住まいを取り上げないでほしい」と言ったところ、
上記のように言われました。

言われたときは、ただ、ただ、ショックでした。
母の厭味ったらしい言い方が、非常にショックでした。
これまで、私の職業を、色んな人に自慢していたのに、
こういうときにはバカにして、嫌味を言うんだと、
「ショック」という言葉以外に、よい言葉が見つかりません。

いま思うのは、
子どもを意のままにしようと、住まいを巻き上げる母には失望していますし、
人には私の職業を自慢してきたくせに、
このように人の職業をバカにする言い方をする、
二面性のある人間とは付き合いきれない、ということです。
やはり、毒母とは絶縁をして、よかったです。


「再婚しても幸せになれるとは限らない。
  私を不幸にして、満足した?」

毒母が、再婚を決め、私から家を巻き上げると伝えてきた日の話し合い。
私が、「どうして私から家を取り上げて、私を困らせるの?」
と聞いたところ、
・あんたのせいで再婚する
と、母の言うことを聞かない私が悪いと言った後に、
「再婚しても幸せになれるとは限らない。私を不幸にして、満足した?」
と言われました。

言われたときは、自分は親不孝なのではないかと、
自分で自分を責めました。

今は、「どうして、母は、再婚を決めたのは自分なのに、
再婚を私のせいにして、再婚で不幸になったら私のせい、
と言ったんだろう?」と疑問に思っていますし、
ブッ飛んだことを平気で言える毒母のことは理解できない、
と思っています。


毒母が、泣きながら駅から家に歩いてきている姿を発見し、
 声をかけたところ、私の手を振り払って、家に向かって行く毒母の姿を見たこと。

20194月のこと。毒母と私は、喧嘩しました。
その、喧嘩の翌日のことでした。
私が、駅近くのコンビニに買い物に向かっていたところ、
泣きながら歩く母を目撃して、声をかけたところ、
毒母は私の手を振り払いました。

このとき、私は、母を傷つけるようなことをした
自分を責めました。

いまは、我慢をしたら自分の心が死んでいたし、
このような言動で私に罪悪感を植え付けて
私をコントロールしようとした母に怒りを抱いています。


「だったらもう、食べなくていいわよ!!」

母が作った手料理を、私が食べないと言っているのにしつこくすすめるので、
食べながら、「いま、ダイエット中だから、そっとしておいてほしいな」
といったところ、「だったらもう、食べなくていいわよ!!」と毒母は絶叫し、
私が食べていた手料理をひったくり、流しに投げ捨てました。

言われた直後は、母に対して罪悪感を抱き、
「我慢して食べればよかった」と思いました。

いまは、「なんで、母はあんなにもヒステリックだったんだろう?」
と理解できません。
暴力的な人とは距離を取ってよかった、と思うエピソードです。


引越し後、旧居近辺で見かけた母に声を掛けたら無視され、
 呼び止めたら足早に立ち去られたこと。

毒母との二人暮らしのマンションから、私が先に出ました。
ただ、各種手続きなど、色々とあったので、旧居の近くに寄りました。
そしたら、たまたま、道を歩いている毒母を見かけたのですが、
その姿があまりにも弱弱しく(目が泣き腫れて、目線も変。背中が丸まっている)、
心配になったので、母に声をかけたところ、無視されました。
呼び止めたところ、「忙しいの。用があるし」と、
毒母は足早にスーパーに入ってしまいました。

された直後は、
「母親にこんな言動をさせるなんて、私は悪い子どもなのだろうか」
と、罪悪感を抱きました。

いまは、「毒母にとって、私は、
「いらない子ども」になったんだろうな」と思っています。
私は、声をかけたときに、まだ彼女を母親だと思い、
弱弱しい後姿が心配になるくらいの優しさがありました。
けれども、母にとって私は、別居が決まった時点で、
「いらない子ども」になっていたから、
こんなにも冷たい言動ができたのだろう、と思います。

この、母の姿、母とのやりとりが、
私と母が会った、最後の機会になりました。
もう二度と会うことはないと思いますが、いまは後悔していません。



こうして振り返ると、
私の母は、平気で私の心を傷つける言動をし、
気に入らないことがあると泣き、私に罪悪感を植え付けました。

彼女には、話をして、歩み寄る姿勢がなかった。
ある時は私を恫喝し、ある時は罪悪感を煽り、
私をコントロールすることしか考えていなかった、と思います。

親と縁を切って、よかった。
つくづく、そのように思います。



そして、ちょっと辛かったですが、
過去の嫌なことを振り返って、整理して、よかった、
と思っています。

そのときの自分の受け止めや、
いまの自分の受け止めを整理することで、
「嫌だった」という気持ちが明確になりますし、
過去、毒親に対して抱いていた罪悪感も、
いま振り返れば、毒親のマインドコントロールだということに気づけたからです。

もし、みなさんも、毒親にされて嫌なことがあり、
振り返る気持ちの余裕があるのであれば、
毒親にされたこと、自分の気持ち、
を言語化することで、自分の気持ちを整理することができるのではないかと考えます。

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