小ネター心の痛みと向き合うことー

こんにちは。
今日は、小ネタということで、
「心の痛みと向き合うこと」について、お話しします。

最近、私と母の違いは何だったんだろう?と考えます。
私の母は、家庭内のいざこざで精神的に摩耗して感情的になっていき、
私は、摩耗しつつも、冷静に自分の希望をかなえていきました。
考えた結果、「私と母は、自分の心の痛みと、
ちゃんと向き合っているかどうか、という点で
違ったのかもしれない」という結論に至りました。



まず、私の父が亡くなったとき。

私の場合は、素直にカウンセリングに通いました。
訃報連絡が保健室に伝わり、そこから学校のカウンセラーさんに話が伝わり、
保健室の先生から、「よかったらカウンセラーさんと話してみない?」
とお誘いがありました。
私は、素直にカウンセリングに通い、
父が亡くなって辛いことや、家庭内が荒れていることについて、
自分の気持ちと向き合い、状況を整理することができました。

一方、私の母は、アルコールを大量に飲酒しては、酩酊・嘔吐。
夫が亡くなって自分はなんてかわいそうなの、と嘆くばかり。
感情的で、自暴自棄な状態がずっと続きました。
現実から逃げるために、何度も大量飲酒。
「カウンセリングに行ったら?」と言うと、
「私を精神疾患だって言いたいの?!」とブチ切れ。
自分の心の痛みと向き合わず、お酒で現実を無視しようとしていました。


次に、家庭内が荒れたときについて。
私の母は、私の父方の祖父母と元々うまくいっておらず、
私の父が亡くなると、家庭環境が非常に悪化しました。

私は、引き続きカウンセリングに通い、
どうしたらよいのか、考えました。
家族問題に関する本を図書館で借りて、考えました。
自分の気持ちと向き合うために、
セルフカウンセリングについても、勉強しました。
また、父の姉夫妻や妹夫妻など、親族とも状況について話しました

一方、私の母は、アルコールで現実逃避。
本も一切読まず、インターネットで調べることもせず、
カウンセリングにも通わず、
自分の感情や自分の置かれた状況と向き合うことはありませんでした。


一度、母が自分の心と向き合うチャンスがありました。
それは、母が勤務先で上司からパワハラを受け、出勤できなくなったときでした。
私は、心療内科の先生を母に紹介しました。
母はそのクリニックに通い、会社を休職するため、
先生との面談や、臨床心理士とのカウンセリングに臨みました。

母は、「あくまで、パワハラ上司を批判するための材料として
心療内科に通っているだけ」と主張しており、
「カウンセリングも、(以下、臨床心理士への不満)」という状況でした。

母は、精神科や心療内科に通うことは、精神疾患であることを意味すると考えており、
自分は精神疾患じゃない!(=自分は悪くない!)と母は主張したかったのだと思います。
誰だって気分が落ち込むことはあるし、向き合うことで強くなれるんだよ、
病院に行くことは悪いことでも恥ずかしいことでもないんだよ、と言ってもダメでした。
(ダメ押しで、「歴代アメリカ大統領には、決断をサポートするために
 カウンセラーが数名ついているんだよ」と言ってみましたが、ダメでした)

そうやって、母は、自分の心と向き合うチャンスである
カウンセリングですらも、途中でやめてしまいました。



私と母の違いは何だったのか。
それは、私には、
・自分の気持ちと向き合う勇気があったこと
・他者に助けを求めることができたこと
によって、カウンセリングを受け、
・自分の弱さを受け入れることができた
・自分の気持ちと向き合うことができた
のではないかと思います。

そして、私は、
・あきらめず
・自分を信じ
・自分で必要な情報を調べ
・考え、決断し、行動した
ことができたことで、毒家族でも心が砕けなかったのだと思います


一方、私の母は、
アルコールで現実逃避するばかりで、
自分の気持ちと向き合い、
自分が置かれた状況を分析し、次のアクションを考えることができませんでした。

アルコール中毒で、母は精神をより一層悪化させたのではないか、と思います。
でも、その当時も、アルコールを飲みすぎだとたしなめたり、
アルコールに逃げないでほしいと言うと、母はキレました。
「私のこと、アル中だって言いたいわけ?!」
「私を、精神疾患者だって、言いたいの?!」


私の母は、人に頼ることや、自分の弱さを受け入れることができない人でした。
どうしてなのか、を考えると、彼女の成育歴に理由があると思います。

私の母は、自分の両親を「神様みたいに偉い存在だった」と言っていました。
母方の祖父母は、戦時中ということもあり、学歴は高くありません
(祖父は高校中退、祖母は小学校中退)
それでも、子ども2人(母と、母の兄)を大学に通わせるだけの
稼ぎがありました。

けれども、母方の祖父母は、子どもを放置気味でした。
祖父は多忙で、単身赴任のことが多く、
祖母も在宅がメインではあるものの仕事をいくつも掛け持ちし、
2人とも、子どもにベクトルが向いていなかったと思います。

伯父(母の兄)は、「俺の方が4歳上なんだけどな、
いつも妹が「お姉ちゃん」って言われるくらい、しっかりしていた
と母を評価していました。
また、母は美人で、スポーツ万能で、成績もよく、
もしかしたら、機能不全家族で育ったアダルトチルドレン(ヒーローを演じていた)
のではないかと、考えています。

もしかしたら、母は、強がって生きていたのかもしれません。
だから、弱さを受け入れることができなかったのかもしれません。


もし…私の母が、人間は誰だって弱い部分があるということを認め
自分の心の痛みと向き合う強さがあれば、幸せに生きられたのかもしれない、
と私は考えています。

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