解毒方法ー毒親は「優しく」なんてなかったー
こんにちは。
今日は、解毒方法ということで、
「毒親は「優しく」なんてなかった」
というテーマでお話します。
私は、絶縁する前や、絶縁した当初は、
「楽しい思い出も、あったのにな…」
と、絶縁した自分を薄情なのではないかと責めました。
けれども、絶縁してしばらくたったある日、気づきました。
毒親は、「優しく」なんて、なかったんだと。
まず、私の生活に対するケア。
たとえば、食事や教育についてです。
子どもができたら、食費がかかるのは当たり前だし、
自炊ができない小さい子には、ご飯をつくる・用意するのが当たり前です。
飢えさせるなら、産むな。
飢えさせるくらいなら、親戚や施設、養子に出すという手段があります。
私の場合、高校生の頃から日常的に家族の食事を作っていましたし、
自分のお弁当も作っていました。
それだけでも、ずいぶん、ふつうの家庭で育っている人と比べると、
手間がかからなかったはずです。
教育について。
子どもには教育を受ける権利があり、
親には子どもに教育を受けさせる義務があります。
教育を受けさせるのが大変なら、そもそも、子どもなんて作ってはいけないのです。
その上、私の場合、給付型の奨学金等により、
高校以降の学費は一切かかっていません。
教科書代や、国家試験受験に向けたダブルスクールの費用も、
自分で出しました。
通信添削や参考書での自学・自習に励みました。
だから、ふつうの家庭で育った子供に比べると、
私は、教育に手間暇かかっていません。
それから、「やりたいから、やる」のであって、
「あなたのために、やった」は、違いますよね。
自分が子どもを育てたいから産むのであって、
子どものために産むのではないですよね。
子どもに、あたたかく過ごしてもらいたい、
と親である自分が思うから、上着を買うのです。
だから、子どもが寒さを感じないから上着を着ない、
寒さを感じたから上着を着る、というのは、子どもの自由ですよね。
私は高校生の時に、無理やり学校のスキー合宿に行かされました。
親はバブルを楽しんだ世代なので、
某プロダクションの某スキー映画に触発されており、
スキーが好きで、自分の子どもにもスキーをさせたかったんです。
けれども、私はスキー(べちょべちょの雪、もこもこのウエア等のイメージを抱いています)
が苦手で、スキー合宿への参加を断固拒否。
すると、親は、
・スキーができないなんて恥ずかしい
・社会人になって恥ずかしい思いをするのはあんた
・いくらかかっていると思うの
・スキーに行かせてやるのに
・スキーに行けない子もいる
・スキーに行かないなら、学校もやめたら
・スキーに行かない子は、うちの子じゃない
と言い、無理やりスキー合宿に参加させられました。
スキー合宿から戻ったとき、親になんて言うか、迷いました。
楽しいこともあったのは事実だし、数十万円なんて高いお金を払ってもらった。
一方で、スキー合宿に無理やり参加させられたのは、とても嫌だった。
親に仕返しをしたい。でも、親に喜んでほしい。
悩んだ末に、「スキーは楽しかったよ」と親に伝えました。
親は大喜びし、嫌がる私が嫌々スキーに行った、
ということは忘れてしまいました。
その後、ずーっと、恩着せがましく、
スキー合宿に行かせてやったからスキーができる、
と言われるのですが、非常に腹立たしかったです。
たしかに、親は「優しかった」かもしれない。
けれども、
・子どもを産んだら当然のこと
・自分がやりたいからやっているはずなのに、
子どものため、と責任を子どもに転化させ、罪悪感を植え付けること
・自分の加害性を忘れること
といった、ひどいことを、毒親はしてきたのだ、
と思うと、毒親の「優しさ」に対して、懐疑的になることができると思います。
毒親の優しさは偽りだった、
本当の優しさとは違うものだった。
そのように気づくことで、毒親にとらわれた心が、
少し、自由になることができるのではないかと考えます。