小ネター絶縁したら毒親が死ぬ?ー

こんにちは。
今日は、小ネタということで、
絶縁したら毒親が死ぬ? というテーマでお話しします。


先日、毒親相談会で、相談者さまから、
「自分が絶縁したら、毒親が死ぬんじゃないか、
 と思ったことはありますか?」というお尋ねがありました。

もしかしたら、そんな風に思って、絶縁を躊躇されたり、
絶縁に罪悪感を抱かれる方もいらっしゃるのではないか…
と思い、今日はこの記事を執筆することにしました。


結論を言うと、私も罪悪感を抱いてはいましたが、
時間が経って吹っ切れた、というところです。



私の場合、毒親が死ぬ、たとえば自殺するということよりも、
毒親が精神的に病んでしまう姿を、生々しく想像して
苦しむことがありました。

実は、私の母は、勤務先の方とうまくいかず、
パワハラを受け、1か月ほど休職していた時期があります。
休職する直前や、休職し始めたとき、
私の母は、泣きはらした目が虚ろで、
弱々しく布団の上にたたずんでいることがよくありました。

そのような母の姿は、私の中で印象が強く残っており、
絶縁したばかりときには、「母が病んでしまっているんじゃないか
と病んだ母の姿を想像しては、罪悪感で苦しむことがありました。


けれども、ブログを開設し、母にされたことや、
母が周囲の人にした言動について冷静に向き合い、記事を執筆する中で、
母の「病む」姿というのは、母の攻撃手段の一つでしかない、
ということに気づきました。

私の母は、相手に罪悪感を植え付けることで、
相手をコントロールしようとすることが、よくありました。

だから、私に聞こえるように泣いたり、
私に聞こえるようにモノにあたり散らすことで、
私に罪悪感を植え付け、私から謝るよう仕向けていました。

また、そのような罪悪感を煽る作戦が効かない場合には、
他の手段に訴えることがありました。
正面切って私に対して暴言を吐いたり、
私の悪口を、大声で、母の交際相手や、母の兄に電話して、
会話の内容を私に聞こえるように仕向けたり。

罪悪感を煽る作戦も、暴言も、実力行使も効かないとなると、
私を懐柔しようと、急に優しくなったり…。

そう、職場のパワハラが原因でメンタルを病んだ時も、結局は、
・彼氏に甘えたい
・現役で○○(私の職業が入ります)の娘を職場に連れて行って、
 娘に、自分の職場と、自分の労務環境について交渉してもらいたい
・職場の人たちに罪悪感を植え付けたい
が本音だったんですよね…。

そんなことを考えたら、母の感情の波は、
相手をコントロールするツールでしかない、
という結論に落ち着きました。


そして、もし、母が絶縁後に「病んで」しまったとしたら、
その「病んだ」姿は、誰に対する攻撃なのだろうか?
…と考えると、母の攻撃対象は、
母の交際相手や、母の兄だろうと思いました。

論理的に考えると、絶縁した後に母が病んだところで、
私が戻ってくるわけがないんですよね。
だから、病んだところでムダだし、
意味のない攻撃を私に向けてすることはないだろう、
と思いました。

では、絶縁されたことを不満に思う母は、
その不満を誰にぶつけるだろうか?と考えると、
それは、母の交際相手や、母の兄だと思いました。

私の母は、自分の非(=長年の虐待、最終的には住居巻き上げ)を
認めて反省することができないので、
自分以外の存在に、非難すべき点を見つけて、
その存在を非難することで、自分の心を保とうとします。

そして、母は、
・交際相手が新興宗教の信者だから、娘に絶縁された
・交際相手が再婚しようなんて言うから、娘に絶縁された
と、交際相手のせいにすると思います。

あるいは、
・お兄さんが保証人を降りるなんて言うから、娘に絶縁された
・お兄さんが、私と娘の間を取り持ってくれないから、娘に絶縁された
などと、私の母方の伯父のせいにすると思います。

そして、病んでいる自分の姿を交際相手や伯父に見せつけることで
彼らの罪悪感を煽り、彼らをコントロールし、
「自分は悪くない」「自分はかわいそうなのだ」というポーズを取って、
自分の心の平和を保とうとするだろう、と考えました。

だから、もし、絶縁後に母が病んだとしても、
それは、私が絶縁したからメンタルを病んだのではなく、
絶縁後に身近にいる母の交際相手や伯父を攻撃し、コントロールするためだろう、
と私は思っています。

母の交際相手は、後先考えずに、自身との再婚と、娘との別居を母に吹き込み、
伯父は、年長者の権威を守るためだけに、保証人を降りると言って私を脅迫しました。
そのようなことを考えると、母の交際相手も、伯父も、
私が母と絶縁したことについて責任があるし、
彼らが責められることについて、私は何の罪悪感を抱かなくてよい
という結論に至りました。


その上で、もし、私の母が、私が絶縁したせいで自殺したとしても
私は、何の罪悪感も抱かないと思います。

まず、ストレートに、遺書に「絶縁されたせいで自殺する」
などと書かれていても、それは、死んだ後に私を一生苦しめるため
攻撃手段でしかないと、私は考えます。

また、母が自殺した後に、伯父や母の交際相手に
「お前のせいだ」と言われたとしても、
それは、彼らが、自分の罪悪感を軽くするために、
私に罪を擦り付けている言論であると、私はとらえます。
・え? あなたたちも、絶縁に加担したでしょ?
・絶縁した後、あなたたちが母を支えられなかったのが悪いんじゃないの?
と、私は言い返すと思います。

母が遺書を書こうが、伯父や母の交際相手に責められようが、
私は悪くないと考えます。
また、もし、そのようなことをされたとしても、私にとっては
「絶縁を正当化する理由が増えた」ことになります。
そんなひどい人とは、絶縁して当然だった、絶縁してよかった、
と考えると思います。
だって、最後の最後まで、彼女たちは、何一つ反省していなかった
ということの証明になるのですから。

そして、もし、母が自殺して、早めに人生を閉じてくれたら、
「今後、予想外の攻撃に遭うこともないんだ」と
ホッとするかもしれません。


一方で、私の母が病んだり、自殺したりすることは、本当にあり得るんだろうか?
と考えると、必ずしも病んだり、自殺したりしないかもしれない、とも思っています。
私の母は、若くして両親を亡くした上に、
夫と子ども2人を亡くしていますが、それでもピンピンしています

また、とりあえずは、
・交際相手と結婚するまでは、
 交際相手に対する攻撃は控えるだろうし
・何かの保険のために、伯父と縁が切れるのは怖いから、
 攻撃はできないはず
 (伯父は公務員で、お金も結構あるので)
ということで、彼らに対する攻撃(=病むこと)もないだろう、と思います。

いや、意外と、再婚相手と子どもでも作っているかも…
とすら、思います。
しぶといんですよ、私の母は。
だから、病んだり、死んだりしないかもしれないな…と、
心のどこかで、思っていたりします。

それか、案外、私のことを、憎みに、憎んで、
一層、幸せに暮らしているかもしれませんね(笑)




でも、このような結論に達するには、5か月近く、かかりました。
絶縁したばかりの頃は、絶縁した高揚感がありましたが、
しばらくすると罪悪感が沸き起こり、また元気になっては…
と、メンタルの元気度が、行ったり来たりしていました。

絶縁して5か月くらい経って、
絶縁したということに対する罪悪感が無くなってきたときに、
「母が病んでも、死んでも、もうどうでもいいや」という境地に至りました。

私の場合、「なぜ絶縁することになったのだろうか」
「本当に、絶縁してよかったのだろうか」という、
絶縁ということそのものへの罪悪感と半年近い期間向き合う中で、
「毒母が、絶縁をきっかけにメンタルを病んでも、私のせいではない」
という答えが出てきました。

結局、病むのも死ぬのも、母の決断なんですよね。
もう成人した、一応世間的には「目上の存在」となっている母親の決断の責任を、
私が背負う必要なんてないんです。

私には、絶縁するに十分な理由があったし、私は悪くない。
私には、幸せに生きる権利がある。




…ということで、私は、
・母が「病む」のは母の攻撃手段だし
・「病んで」攻撃するのは、身近な存在に対してであって、私には関係ない
・自殺しても、それは母自身が責任を負うべき
・誰に何を言われても、私は悪くない
と考えています。

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