小ネター人間関係への苦手意識ー

こんにちは。
今日は、小ネタということで、
私が人間関係について苦手意識を持っていることについてお話しします。

私は、人と関係を構築したり、構築した関係を維持することについて、
強い苦手意識を抱いています。
…と言うと、色んな人にビックリされます。
「社交的で、明るくて、人当たりが良いのに」と。

でも、私は、社交性は努力して作り上げたので、
愛想よくふるまっていても、どことなく、
「自分はエイリアンなんだな」と思います。
なんとなく、居場所がないんですね。

どうして、そんなことを考えるのだろう…と振り返ると、
あまり楽しくなかった小学校~高校時代にさかのぼります。



私は、小学校から高校まで、
「親は通わせたいけれども、私は通いたくない」学校に12年間通わされました。
小学生の時は、6年間ずっといじめられていて、楽しい思い出はありません。

小学生の時、父に「友だちがいなくて、つらい、悲しい。
友だちのいない私って変なの? いじめられるなら、学校に行きたくない」
と言ったところ、父はこのように回答しました。
「自分は友だちいないけれども、つらくも、悲しくないよ。
 一番の親友は、お母さん(私の母)かなぁ…。
 別に友だちなんていなくても困らないし、
 言いたい奴には好きに言わせておいて、嫌な言葉は無視すればいい

無視なんてできない、言われて嫌なことは嫌だ、と言っても、
「無視しろ」と言われました。

だんだん、家族にも心を開けないようになって、
死にたいな…生きていてもいいことはあるんだろうか…と思いながら、
通いたくもない、大嫌いな学校に通っていました。


それから20年ほど経過し、大人になって思うのは、
「まぁ、友だちなんていなくてもいいけど、
 あのとき、それを親から言われたのは酷だったな」ということです
私は、小学校から高校の12年間、同じ私立に通い続けましたが、
このときの知り合いとは一切連絡を取っていません。
大学時代の知り合いとも連絡を取っていません。
社会人になってからできた友人・知人についても、
定期的に「入れ替え」をして、「不要」な人間関係は捨ててきましたが、
特段、困っていません。
父の言う通り、確かに、友だちはいなくても困らないんです。

けれども、それは、小学生の時と違い、私が社会人になって、
ある程度お金があって、自分の生活をコントロールできるから、実現可能なのです。
加えて、インターネットが発達して、学校や職場以外で、
自分と価値観が会う仲間を探すことが容易になったという要素も大きいでしょう。
小学生の時は、世界は「家」か「学校」しかなくて、
学校に通わないと、家に住めないような、そんな家庭環境で、
でも、学校にいたらいたで、心が死んでしまう中、
悲しい思いをしながら、学校に通っていたんですね。


さて。
受験がうまくいって、母校よりも良い大学への進学が決まり、
大嫌いな学校から卒業できました。
でも、新しい大学でも、友人関係がうまくいかない…。
なんだか、良い人になろうと頑張ろうとすると、苦しいし、
「本当の自分じゃない」と思いながら、偽りの自分で過ごしていました。

学生時代、楽しそうに過ごしている人を見ると、うらやましかったです。
人とうまく付き合えない自分を、たくさん責めました。
「私、人間性に問題があるから、友だちができないのだろうか…」


社会人になっても、友人関係も、恋愛も、うまくいかない。
好かれようと、マニュアル本を読んで、「いい人」になる度に、
本当の自分じゃない、という思いが強くなる一方。

失恋、婚活、家族との絶縁…人間関係について真剣に考える中で、
私は、気づきました。


そっか、私、「ほどほどの人間関係」を身に着けることが、できなかったんだ……


みんな、大なり、小なり、人間関係に問題は抱えているけれども、
それでも、それなりにうまくやり過ごしているのは、
小さいころから、友人と喧嘩したりするなかで、
相手自身や相手の言動を「好き」「嫌い」でもない、
どうでもいい「グレー」にポンッと置くことができているから。

一方の私は、小学生の時にいじめられていたことが大きくて、
「好き」「嫌い」の二分論になりがちだから、
やりすごすことができなくて、人間関係の問題を負担に感じているのだ…。


そう考えると、いじめられて辞めたい、と言ったのに、親の見栄で
通いたくもない私立に、私を無理やり12年間通わせた親の罪は大きいな…と
思うことができました。
そして、そんな12年間があったからこそ、「うまくいかなくて当然」と思え、
ある意味、気楽になったんです。

「人間関係がうまくいかないのは、自分のせいじゃない」と。

だから、最近は、「社交的で、明るくて、人当たりが良い」私を演じていても、
もう、「偽りの自分」「エイリアン」という疎外感はありません。
就活が終わったときにSNSは一切やめて、
いまもメッセンジャーアプリで細々とコミュニケーションを取っている、
しかも、そのメッセンジャーアプリのアカウントもたまにリセットしているけれども、
昔のような罪悪感はありません。

社交的なのは、私が習得した処世術で、自分の学習の成果を誇っていい。
連絡先の整理も、ストレスを減らすための方法の一つ。
気楽に生きたいから、それでOK!と思っています。


振り返ると、私の父も毒親育ちで、まともな人間関係が築けなかったのかもしれません。

私の父も、親の見栄で、通いたくない学校に通い続け、
大学は、受験当日に父親(私の父方の祖父)と喧嘩したせいで、2浪。
大学でも、ちょっと年上の父は浮いてしまう。
母親(私の父方の祖母)の親類が経営する企業にコネ入社。
そこもいじめられて退社して、父親のコネで別の企業に入社。
両方ともコネ入社だから、仲間なんていない。

だから、私の父には友だちなんていなかったし、人付き合いが自然にできなかったし、
だからこそ、娘に、友だちの意義も、つくり方も、教えられない。
人間関係に悩む娘に寄り添うことができない。

そして父も、父の両親と同じように、
親の見栄で、子どもが通うのを嫌がっている私立に通わせ、
子どもの心を傷つける…。


なんだか、ぞっとする話ですよね。
毒家族の毒素が再生産されていくように、
子どもも毒親と同様、人付き合いが苦手になってしまう。

最近、「子どもを産んだら、ママ付き合いが面倒だなぁ」と思う自分がいる一方で、
子どもが幸せな幼少期を過ごせるように、ママ付き合いは頑張ろう
と思っている自分がいます。
なにせ、私の母は、「ママ友なんて面倒」と言って、ママ付き合いをせず、
そのせいもあって、小学校時代の課外でのお遊びで私がハブられていたのですから…。
やっぱり、母がしたことと同じこと、つまり、親としての責任放棄を私はしたくありません。

そして、なにより、子どもが嫌がるような学校に子どもを通わせることはしたくない、
と考えています。


私の代で、「人付き合いが苦手で、生きにくさを感じる」
という連鎖は終わりにしたい…と最近は考えています。

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