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活動の一区切り

2025年は、色々と自分の中で区切りをつけた年になりました。 どういうことかというと、2023年に第1子を産み、2025年4月に復職することになりました。 なので、自分の身の回りのことを整理しよう、と思い…ずっと悩んでいた、この毒親育ちの方々を応援するためのサイトや、その活動を、一区切りしよう、というきっかけになりました。 2025年3月に整理した点は、以下です。 ・無料で公開していた書籍を、全件掲載取り下げ。 ・相談会の開催を当面取り止め。 正直に申し上げると、普通の生活にどっぷりと浸かっており、「書籍の情報を常に最新にする余裕がない」「毒親育ちの方のお悩みを伺う余裕があるなら、自分の子どもにエネルギーを使いたい」となってしまいました。 低浮上な更新すら面倒くさくなったら、「⚫︎年⚫︎月に削除する予定です」という告知をしようと考えているので、安心してください。(?)

今後の毒親相談会について

私事で恐縮ですが、家庭の事情や、仕事の状況のことがあり、半年以上前から全ての形式での相談会の受付を停止しております。(ご案内が遅れて恐縮です) また、LINEのお友だちだけでも、ご相談を受け付けるか検討いたしましたが、こちらも当面の間、受付を停止することにいたしました。 再開は未定です。 一方、これまで、定期的にご相談くださった方、年に一度定期的にご相談くださる方などいらっしゃられ、どうしようか検討いたしました。 「お返事が来るか分からない」「返事が来ても1往復程度かもしれない」というのがOKな方に限り、期間限定で、ご連絡を受け付けることにいたしました。 連絡したい方はどうぞLINEあてご連絡ください。 ※ご連絡の受付を停止しましたら、こちらのページにてアナウンスいたします※

毒祖父に二度と会わない、という選択肢

先日、祖父から、「家を売却して、老人ホームに入る」とメールが来ました。 そのメールを見た瞬間、「あ、もう、会わなくていいや」と思いました。 祖父はずっと、高級住宅地にある家を相続するから言うことを聞け、と私や母に言っていたんですよね。 その結果、私の母は人間的に壊れてしまいました。 祖父は、ずっと、「自分は施設ではなく、自宅で最期まだ過ごす」と言っていたのにね。 さて、そのメールに…「残金を相続人で分割」「墓は君にあげるから100万円を追加であげる」的なことが書いてあり、アホくさ、と思いました。 人の人生を散々相続で振り回して、謝罪もせず、残金を相続人で分割して、私にとっては端金の100万円でお墓のお世話?? そう思ったら、「これまで、情けをかけて、年1は会ったけど、私の子どもにも会わせてあげたけど、もう二度と会わなくていい」と思いました。 祖父にはもう二度と会わない。 病気でも、死んでも、知らない。 そう思ったら、とても気持ちが楽になりました。 母とだけでなく、祖父とも、会わない。 もう、私が実家に時間を使うのはほとんどないと。 新年会のお誘い、法事の連絡、全部「欠席します」と返事する10秒×多く見積もっても10回で、100秒。 もう、祖父とは残り100秒の付き合いだと。

今年も住民票の閲覧制限をかけました。

今回で11回目となる、住民票の閲覧制限。 今年はフルタイムで働いて、子どももいるので、「いつ仕事休んで警察署に行こうかな…」を考えるのが面倒くさかったです笑 でも、2時間で「自宅→警察署で手続き→職場」が終わって、50回(50年、毒親が死ぬまで)やれば、老親の扶養や介護をしなくて済むと思うと、トータル的には時間の節約なので、今年もコツコツ頑張りました。

はじめに(番外編)ー管理人の絶縁年表ー

私の絶縁までの歩みについて、年表の形式でまとめます。 私の生活の状況が変わりましたら、随時更新をする予定です。 これから、毒親問題についてお悩みの方や、毒親との絶縁について検討される方にとって、参考になりましたら幸いです。   年 表   ※2025年5月更新 1993年8月 母の実家の茨城県で生まれる。直後に、両親が住む東京都内のマンションへ転居。 (成人してから思い返すと、幼少期から母親からの虐待にされされていましたが、この頃は違和感を抱きつつも比較的普通に生活していました) 小学校1年生(2000年) 父の実家(東京都世田谷区)へ転居。 父方の祖父母と両親と私、5人での生活。家庭環境悪化。 家族と時間をともに過ごすことが苦痛だけれども、子どもでお金もないので、図書館か自室にこもって読書ばかりしておりました。(読書なら引きこもっても怒られなかったので) 正直、「死にたい」と希死念慮を明確に抱き出したのは、この頃からでした。 それから、毒親と絶縁するまで20年ほど「死にたい」「消えたい」と思っていました。 高校1年生の春休み(2010年3月) 父が急性くも膜下出血で急死。家庭崩壊。 父が亡くなった数ヶ月は「DV夫のハネムーン期」並みに穏やかだったけれども、6月頃から家庭が毎日戦場なくらい荒れ模様。 高校2年生の春休み(2011年3月) メンタル不調の母とともに、祖父母の家を出ようとしたところ、祖父母に勘当される。 祖父母と別居し、母・娘で暮らす。 高校3年生の終わり(2012年) 大学受験成功。 世間体を気にした祖父母が、同居再開を希望し、再同居。 大学3年生(2014年頃) 母が、新興宗教の信者の男性と結婚を前提に交際を開始(母は交際相手と半同棲)。 母が遺族年金の不正受給を始める。 大学4年生(2015年頃) 試験に合格し、在学中に就職先が決まる。 2019年1月下旬(社会人3年目終盤、25歳) 祖父母との別居を開始。 私の名義で2DKのマンションを借り(世田谷区内。毒祖父母宅から徒歩20分)、母に一部屋貸す。 なお、住民票をマンションに移そうとしたところ、母が「相続で不利になる!!」と思い込み&激怒したため、住民票は数カ月、祖父母の家のまま。 2019年4月下旬(社会人4年目) 母からの、暴力・暴言・脅迫・搾取が激化。 近い将来に母と絶縁することを本格的に検...

もうすぐ、毒親と絶縁して、6度目のお正月

こんにちは。 2019年秋に毒親と絶縁し、もうすぐ2025年の元旦。 2020,2021,2022,2023,2024と経て、次は2025年。 親と絶縁したばかりの頃は、感慨深かったですが、もう日常になりすぎて、ごく普通のことになりました。 実は、この記事、スケジューラーにTo Doリストとして設定して、「そろそろ年末だから、LINEでお友達になってくださっている方や、サイトを訪問してくださっている方へのメッセージ的に書こう」という目標の下、執筆しております…。 スケジューラーで設定しないと忘れるくらい、毒親問題も、このサイトのことも、頭から消えてしまっているくらい、日々、「生きることに精一杯」です。 それも、切羽詰まっているのではなく、人生が楽しくてやりたいことが多くて、毎日「今日は何をしよう/何をしたい」「明日は何をしようかな」と、現在や未来に思考のベクトルが向いてしまっていて、過去(=毒親問題)を思い出す暇がないのです。 うーん、「暇」というのは、なんだか違うな。いま、悩んでいらっしゃる方に失礼なワードチョイスだ。でも、「余裕」とも違う。 毒親と絶縁して、それなりに年月が経って、毒親と離れてからの日々の過ごし方に記憶が上書きされ続けて、毒親のことを忘れてしまっている。 毒親がいた世界線とは別次元の世界で生きていて、もう、今の私の世界に毒親はいない。 それくらい、遠くまで来てしまったのかもしれない…。 この記事が、誰かの希望になるかは、わかりません。 でも、毒親問題を解決して、気持ちに区切りをつけて日々を精一杯生きていると、毒親のことを忘れている。 そんな生活が待っていますよ、ということをお伝えしたくて、記事を執筆しました。 みなさま、今年も1年間、おつかれさまでした。

相続どうする? 〜疎遠にしていた祖母が亡くなりました

絶縁していた毒実家(父方)の祖母が亡くなりました。 よく、毒親育ちの方から、「相続はどうするのか」というご相談をいただくので、 今回、祖母が亡くなったときにしたこと・考えたことをまとめました。 ※祖母は2023年に亡くなり、相続手続き完了は2024年6月です。 【目次】 1.加害者自身や加害者の縁者の死亡に関する手続き(一般論) 2.私が祖母の死に際して行った手続き 3.今後、私がすること 4.祖母の相続を経て考えたこと 1.加害者自身や加害者の縁者の死亡に関する手続き(一般論) 役所への届出、銀行の解約手続き・・・など、一般的な手続きに加え、 毒親・毒家族関係において独自の手続きや、通常と異なる対応が必要なものについて、 端的にまとめると以下の通りです。 ⚫︎死亡した者が、住民票の閲覧制限の対象者である場合 対象者から削除する必要がありますので、まずは自治体の担当課に連絡しましょう。 ⚫︎財産・負債を相続放棄する場合 死を知ってから3ヶ月以内に家庭裁判所に相続放棄の申立てをする必要があります。 戸籍の取り寄せに時間がかかりますので、死亡を知ってから戸籍を取れるところから同時並行で取り寄せるくらいの勢いで手続きを進めましょう。 ※相続放棄は、専門家を雇わなくても、自力で手続きできます。 ⚫︎財産・負債を相続する場合(一般) 遺産分割協議書に署名するメンバーの中に他の加害者がいる場合には、あなたの住所を秘匿する必要があります。 住民票の閲覧制限をかけているのであれば、住所を秘匿する手続きを有利に進められますので、手続きを担う司法書士等に相談しましょう。 ⚫︎不動産を相続する場合 ①不動産登記 (毒家族の相続に限らず、あなたが不動産を所有する場合には) 不動産登記が必要になりますが、不動産登記は取引の安全のため、お金さえ払えば誰でも閲覧でき、記載されたあなたの住所を閲覧することができてしまいます。 しかし、あなたが住民票の閲覧制限をかけている場合には、現在住んでいる住所を秘匿することができますので、手続きを担う司法書士等に法務局での手続きの際に留意いただきたいと相談しましょう。 ※また、登記申請の書類にも閲覧制限をかける必要があります。 ⚫︎不動産を相続する場合 ②固定資産税 (毒家族の相続に限...

毒祖父母、毒親との絶縁から約5年

2019年1月に毒祖父母、10月に毒母と絶縁して、それぞれ約5年という節目を迎えました。 そういった節目を迎えたことで、毒親育ちの方から「絶縁して5年くらいになると、どんな気持ちですか?」とご質問をいただいたり、 また、先日、住民票の閲覧制限(支援措置)の更新手続きをしたりしたので、 いまの私の率直な気持ちについて、お話しします。 【いまの気持ち】 「あっ、そういえば、私って毒親育ちだったんだっけ」と普段は忘れているくらい、日々の生活が充実しています。 こうやって、支援措置の手続きをしたり、毒親育ちの方からのご相談に対応したりすると、 「そういえば、私って、毒な家庭で育ったんだっけ」と思い出したりしますが、 それだけ、いまの生活が幸せ、ということは、 とてもありがたいことです。 【現況、今後のこと】 夫の希望もあり、私たち夫婦の結婚式の際、毒祖父母との完全絶縁はやめ、現在は疎遠という状況です。(3年半絶縁して、1年半疎遠) 約1年前、祖母が亡くなりました。祖父とは、ほとんど関わっていません。 祖父の寿命が来たら、私の親族との関わりは、ほとんどなくなるんだろうな…と思います。親族が嫌い、みたいな話ではなく、元々関わり合いがほぼ無かったので、自然消滅するんだろうな、という予想です。 これまでこのブログで何度かお話ししていますが、毒母とは引き続き完全絶縁が続き、亡くなったときに相続放棄で即終了の見込みです。 いずれにせよ「亡くなったら手続きだ」と事務的に整理しているので、気持ちとしては、淡々としています。

今年も住民票の閲覧制限の手続き&ブログの更新をして

例年通り、毎年恒例となっている、住民票の閲覧制限の手続きをして、その際、役所に手続きの確認をして、ブログで最新の手続きを伝えています。 絶縁した直後と比べると、毒親育ち関係の情報を発信する熱量が、私の中で、格段に、低くなってしまっています。 それでも、住民票の閲覧制限の手続きや、私の日常について記事を書くのは、 「このブログの人は、ちゃんと生きていて、いまも幸せに暮らしているんだな」と、読者の方に伝えられたら良いな、と思うからです。 安心してください。 家族と絶縁して、いまも幸せに暮らしています。

「毒親育ち」が幸せに育児をする方法〜赤ちゃん育児編〜

「毒親育ち」で実家のサポートなし!! …という状況で、ストレスなく、楽しく、 育児をする方法について、いくつかご紹介します。 ※今回は、赤ちゃん(新生児〜乳児)について。  今後、子どもの成長に応じて、続編(?)を書くかもしれません。 ●便利家電をフル活用 乾燥機付き洗濯機、食洗機など、家事の雑務を軽減する家電を導入。 電気圧力鍋やオーブンレンジなど、「ほったらかして、美味しい料理を作る」道具も便利です! ●子どもの生活リズムを整える 子育てで多くの方が悩むこと…「子どもが寝ない!!」 (子育て未経験者のために補足すると、大半の赤ちゃんは生後3か月くらいまで、夜は1〜4時間寝て起きるのを繰り返します。また、生後2年経っても2-3時間しか続けて眠れない子どももいます。) 私は、子どもの生活リズムを整えて、「よく食べて、遊んで、寝る」子に育てました。(まぁ、親ができることなんて高が知れているので、我が子が一番頑張っていると言うか、我が子の手柄です) 生後半年から、夜は10時間半起きずに寝続けています。 ●自治体のサービスを活用する 自治体によりますが、 ・保健師さんや助産師さんの訪問(無料or助成) ・シッターさん利用の助成 ・ママ友づくりイベント ・産後ケア(デイケアor/and宿泊) など、子育てするママをサポートするサービスがあります。 ●書籍や公的情報を読んで勉強する 色んな育児方法があります。国より色々です。 私は、日本式(書籍、厚生労働省やこども家庭庁や自治体の冊子やHP)、WHO推奨ガイドライン、アメリカ小児学会など、様々な媒体から、科学的なエビデンスを特に重視して勉強しています。 ●困ったらプロに相談 ネットの情報は玉石混交です。(というか、毒が多いですね笑) さっさとプロに相談しましょう! 特に、子どもの健康や、発達発育に悩んだら、小児科に行きましょう!! 悩んでいる時間がもったいないです!! 悩む時間があるなら、子どもをいっぱい可愛がりましょう!!! ●スキマ時間を上手に使う 子どもがいると、大人の自由時間は細切れになります。 時間を上手に使えるように、私はスマホやiPadで本を読んだり、PCでする作業の前処理をしたり、タスク管理をしたり、投資でお金を稼いだり、家計簿をつ...

呼びかけ:能登半島地震の被災者等への支援、募金など

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能登半島の地震、みなさんや、みなさんの大切な方は、お変わりありませんか。 お亡くなりになられた方へお悔やみを申し上げるとともに、 被災された方、その方々と近しい方々の心が安らぐ日が1日も早く来ることを祈るばかりです。 本記事執筆時点において、いくつかの被災自治体が直接「ふるさと納税」での寄付を募っているほか、 以下の団体が寄付を募っています。(そのほかにもありますが、大きなところを紹介) ●Yahoo! JAPAN https://donation.yahoo.co.jp/detail/1630064 100円からでも寄付できます。 Tポイントも寄付できます。 クレジットカードでも寄付できます。 …という(あまり良い表現ではないかもしれませんが)お手軽さなので、寄付が初めての方にもおすすめです。 ●赤い羽根共同募金 https://www.akaihane.or.jp/news/34909/ こちらはクレジットカード、コンビニ振込での寄付もできます。 ●日本赤十字 https://www.jrc.or.jp/chapter/ishikawa/about/topics/2024/0104_037195.html 現時点では、銀行振込のみです。 もしよかったら、ぜひ、寄付をしてみませんか? ===== ちなみに、私は、Yahoo!で寄付しました。 ※個人情報保護のため、念のため、一部塗りつぶしております。

絶縁後の生活:2024年1月(絶縁から4年4か月目)

今年もよろしくお願いします。 昨年6月に父方の祖母が亡くなったので、喪中でしたが、 祖父が、「喪中にはしない!新年会はやる!」と主張したので、 我が家は普通のお正月を過ごしました。 1月2日には、祖父宅での新年会に、2時間ほど顔を出しました。 祖父の介護、お墓の処分など、叔母といとこが困っているので、話し合いに協力することにしたのです。 新年会ですが、新年早々に明るくはない話題で草w 祖母が亡くなったことについての記事で、「年内には相続手続きのことを記事にできるかな〜」なんて書いていましたが、 祖父母が頑なに主張していた、「相続手続きは万全!税理士さんと弁護士さんに相談した!」はウソであることが発覚、 さらに、叔母もいとこたちも、誰も、お墓を相続したくないし、祖父の介護をしたくないと主張したので、 「介護施設に入りたくない、在宅介護で終末期まで過ごしたい祖父」のため、 相続の話し合いは難航。 また、祖父は相続手続きを引き延ばして、親類の関心を買いたいので、 一向に相続手続きを進めません(笑) そして新年会で…祖父は、 「君のお母さん(住民票閲覧制限対象の毒母)にはだいぶ悪いことをしたので、償いたい」と言い出しました。 そのときは、絶句してしまって、言葉が出なかったのですが…。 いま思うと。 妻(私の祖母)が亡くなって、自分(私の祖父)の死期も遠くないと悟ったのかもしれないけど、 いまさら罪を悔い改めようとするのは…自己中にもほどがある…と思いました。 祖父はきっと、謝りたいなんていうのは口先だけで、本心は「お互い悪いところがあったから、喧嘩両成敗」くらいの気持ちだと推察しますが、 私の母は「私はかわいそう!私は悪くない!」の世界で生きている人ですし、 たぶん母が祖父に連絡を寄越さないということは、関わってほしくないということだろうし、 きっと母は、静かに生活していて、その生活を乱されたくないと思うので、 いまさら祖父の身勝手な懺悔に付き合わされるのはかわいそう、と思います。 でも、そんなことを言って、祖父と母の関係に責任を取らされても困るので、 「祖父のひとりごと」として、無視しようと考えています。 本当に責任を感じているなら、頑張れば私の母に祖父はコンタクトを取れるはずなので、 祖父...

【お金事情】毒親と絶縁→結婚&子育て

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毒親育ちの方から、 「毒親と絶縁すると、貧乏にならないか、お金のことが心配です」と相談されることが多いです。 また、私が結婚し、妊娠・出産ということもあり、 最近は結婚生活(お金のことも含む)について、聞かれることも増えました。 2020年10月~11月に 「毒親育ちのお金事情」 を連載しました。 今回は、その続編的に、2022年12月に法律婚してからの、ここ半年のお金事情についてご紹介します。 ※私の身の安全の観点から、⚫︎千万円の位は塗りつぶしております。 ※画像は、私が資産管理に使っている、Money Forwardから引用しています。 【この半年のお金事情について】 この半年で、資産が+約900万円です。 ※分かりづらいかもしれませんが、左上の図が1月末時点の資産で、その下に※で記載したのが12月末時点(実質1/1時点)の資産額なので、それと右下の6月末時点の資産の差を取ると+897万円(約900万円)です。 「毒親育ちのお金事情」 でお話ししたように、 ・メリハリをつけて支出 ・労働は頑張りすぎず、余暇を大切にする ・お金を貯めて運用 (・副業はおすすめしない) という「のんびり」なスタンスです。 それでも、きちんとポイントを押さえていれば、半年でこれくらい資産が増えます。 【補足】 ちなみにですが、 ・画像は、私個人の資産 ※夫や家計の口座は含まず ・家計は、夫婦各々の口座から、毎月10万円ほど夫婦共有の家計用口座にお金を入れて、生活費に使い、余りは臨時出費(大型家電、冠婚葬祭など)に備える形 ・この期間、私は妊婦だったので、1月から仕事をスローダウンし、4月中旬から産前産後休業(有休消化も含む) という状況です。 なお、3月に資産がマイナスになったのは、 ドル建て資産が、ドルの低下で下落したためです。(その後持ち直し) 4月から産休に入りましたが、お金に関する不安はありません。 夫とは別に、自分自身も蓄えや資産があるので、 悠々自適に「期間限定の専業主婦ライフ」を楽しんでいます。 家でパンを焼いたり、妊婦OKなスパに行ったり、友だちとホテルのレストランでランチしたり、週末は夫とデートしたり。 あと、資格試験の勉強をして、合格しました。 産後は2年ほど育...

出産しました 〜毒親育ちの女が母親になりました

子どもが生まれました。 抱いたときの繊細さと、泣き声の力強さと、とてもとても重い命の重みに、 なんとも言えない、感情が揺れ動いて涙が出るような思いが込み上げました。 まだ、母になったばかりですが、 「親だから、命や安全に責任がある」ことは当然であるものの、 「この子らしさを大切にしたい」という気持ちが強いです。 とはいえ、まだまだ、赤ちゃんなので、まずは授乳、沐浴、おむつ交換など、 生命の維持からですが…笑 これから、ちょっとずつ、 夫と我が子と「家族」になっていくことが、とても楽しみです。 【毒親育ちであることについて】 結婚や妊娠を公表してから、 ・毒親育ちだと、家庭を持つことが怖くないですか? ・毒親育ちだからこそ、子育てについて思うことはありますか? と尋ねられることが増えました。 「毒親育ち」という文脈で尋ねられるならば、 ・虐待の連鎖には気をつけている ・毒親のような親にはならないように考えている と答える形になります。 でも、普段は、「毒親育ちだから」というフレームでは、私は考えていません。 毒親と絶縁して、そろそろ4年です。 毒親の不幸な考え方や生き方の呪縛から解き放たれて、幸せに生活できるようになって、 生活のあらゆる場面から「毒親育ちだから」という前置きが取れました。 だから、 ・親として当たり前に、真っ当な人間でありたい ・子どもを育てられて嬉しい ・子どもを幸せにしたい ・子どもの幸せを応援したい という気持ちです。 このため、我が子が生まれた、いま、 純粋に「嬉しい」「この子がかわいい」という気持ちが、胸の中にあります。 (もちろん、人並みに「こどもの命を預かるって責任重大」という気持ちもあります) 【今後の記事執筆予定】 気持ち的には、純粋に「嬉しい」なのですが、 事実として「親と絶縁した=里帰り等の実家のサポートがない」ので、 その点をどう工夫して「毒親育ちの妊娠・出産・子育てを対応していくか」ということについては、 ライフハックとして共有できるかな、と思うので、 後日、記事としてまとめたいと考えております。

葬儀どうする? 〜疎遠にしていた祖母が亡くなりました

絶縁していた毒実家(父方)の祖母が亡くなりました。 よく、毒親育ちの方から、「冠婚葬祭はどうするのか」というご相談をいただくので、 今回、祖母が亡くなったときにしたこと・考えたことをまとめました。 ※相続関係の手続きや、考えたことについては、別の記事にまとめる予定です(手続きの進捗次第ですが、2023年の年末に記事化の見込み) 1.祖母との最近の距離感 2.祖母に対する気持ち 3.毒親・毒家族の葬儀への出欠席の判断基準(案) 4-1. 祖母について、私はどうしたか 4-2.毒母の場合はどうしたいか(参考) 5.祖母とお別れをして思ったこと 6.今後の親戚付き合いについて考えていること 7.振り返り 8.毒親育ちの方へのメッセージ 1.祖母との最近の距離感 祖母とは2019年1月に絶縁しました。 夫の希望(結婚式に祖父母を呼びたい)があり、2022年秋に会い、 2023年1月の結婚式に呼びました。 また、2023年4月に、私の叔母(父の妹)の新居(2つ目)のお披露目パーティーがあり、その際に少し挨拶をしました。 それから2か月後の6月頭に、祖母は亡くなりました。 2.祖母に対する気持ち 縁を切ったときから4年経過し、気持ちが落ち着いており、穏やかな気持ちです。 縁を切る前は、祖母に対して怒りがありました。 ・他の孫と比べると、可愛がってもらえなかった(いわゆる「孫差別」) ・祖父に同調していた ・私の母(毒母)の悪口を言われた ・毒母と折り合いが悪く、結果的に、伯母(父の姉。故人)と一緒に私の母をいじめる形になり、母の「毒母化」を加速させた とは思いつつも、毒母や祖父ほど加害性は強くないので、 どちらかというと、「縁を切ってしまっていいのだろうか」と悩んだ相手ではあります。 似たような毒家族問題で例えるならば、「毒親の言動を傍観したり、ちょっと自分をいじめていた兄弟に対する気持ち」 職場で例えるならば、「上司のパワハラを傍観したり、ちょっと自分に嫌がらせをしてきた同僚に対する気持ち」 学校で例えるならば、「いじめを傍観したり、ちょっと自分をいじってきたクラスメイトに対する気持ち」 に近いかもしれません。 積極的に好きにはなれないけれども、嫌いになるほどの熱量はない相手。 世代が世...

NHKのドキュメンタリー番組への協力

撮影に協力したNHKのドキュメンタリー番組「ナンブンノイチ 4分の1のヒトって? 母親が“毒親”」が2023年6月13日に放送されます。 ※過去の放送については こちら を参照。 【取材の経緯】 2023年4月に番組のディレクターの方から取材のお申込みをいただき、プロデューサーとディレクターのお二方とお会いした上で、同年5月に撮影に協力しました。 私の相談会をご利用されたことのある毒親育ちの方にも、撮影にご協力いただきました。 【思ったこと】 このサイト(ブログ)は、いまでこそ本の出版もあって多くの方にご覧いただいていますが、当初は細々活動していましたし、 マスメディアで毒親について語ることを求められる日が来るなんて、思いもしませんでした(しかも自分が)。 「毒親について公言していいんだ」と ちょっとでも、毒親育ちの方を勇気づけられたらいいな、と思います。

「生きづらさ」からの脱出4ステップ

この記事を書いている現時点(2023年4月)で、 ・2019年1月に、私が毒実家を出てから4年 ・2019年10月に、毒家族と完全絶縁してから3年半 ・2020年3月に、毒親育ちさんからの相談を受け付け始めてから3年 が経過しています。 これまでの蓄積を踏まえて、毒親育ちの生きづらさから脱する方法を シンプルに4つのステップ でお伝えします。 《4つのステップ》 【ステップ1】「毒親」という言葉を知る (達成期間…意識した直後〜数十年) 人によりバラつきがあります。 「私の親って、なんか変」と気づいてから、 昨今はインターネットでの調べ物が手軽になったので、 すぐに「毒親」という言葉と出会える方が増えてきています。 しかし、そんなブームが来る前から違和感を感じていた方は、 長い時間をかけて、「毒親」という言葉と出会われる傾向にあります。 このブログに出会えた方は、このステップは既にクリアされています。 【ステップ2】自分の親が「毒親」だと認識する (達成期間…「毒親」という言葉と出会った直後〜数十年) これも、人によりバラつきがあります。 「毒親」という言葉と出会ってから、 即座に「私が生きづらいのは、全部毒親のせい!」とアッサリと次のステップに行かれる方もいます。 しかし、「自分の親を毒親だと言ってしまって良いのだろうか…」と、 長いこと、罪悪感を抱いて、悩まれる方もいます。 (私もこちらのパターンでした) 毒親から、「あなたのため」とマインドコントロールを受けたり、罪悪感を煽られたりするような、 マルトリートメント(誤った養育)を受けた方は、 どちらかというと悩む期間が長い傾向にあります。 【ステップ3】毒親にされて嫌だったことと向き合う (達成期間…1か月〜一生) 人によりかなりバラつきがあります。 そして、ステップ4に進めず、一生ここで止まる方(止まると思われる方)もいます。 端的に言うと、毒親の言動を「憎み」「怒り」「悲しみ」「嘆く」時期です。 この時期を経て、「じゃあ、どうやって幸せに生きる?」がステップ4ですが、 なかなかステップ4は大変です。 なので、ステップ4に進んでも、ステップ3に戻ってきてしまう方もいます。 また、ステップ3で挫折して、...

【絶縁3年半の真実】毒親や毒祖父母は、時間が経つと変わるのか?

毒祖父母を結婚式に招いたことを、結婚式に関する記事に記載したところ、 「毒親や毒祖父母は、時間が経つと変わりますか?」というご相談がありましたので、 私の場合と、それを踏まえた私の考えをまとめました。 ※この記事においては、毒祖父のデリカシーのない発言(特に、妊娠や不妊治療に関するもの)に関する言及がありますので、その手の話題が苦手な方は、この記事を読まない方が無難です。 【背景】 私は、2019年1月に毒祖父母(亡くなった父親の両親)と絶縁しました。 2022年10月に、私の夫が「祖父母に会ってあげてほしい」「祖父母も結婚式に呼んだほうがよい」と言うので、嫌々会いました(笑) で、2023年1月の結婚式に、毒祖父母を招きました。 3年半以上絶縁したら、毒な家族はどうなるのか? という参考の一つになりましたら幸いです。 【絶縁後の毒祖父の姿】 以下は、私の披露宴での毒祖父の言動です。 たった2時間でこのヤバさを露呈しています(笑) ※楕円形のテーブルにて十数名で食事をしており、端に座らせた祖父の声は、真ん中に座る私にまで聞こえていました。 絶縁3年半後の毒祖父の姿を、5つのポイントに絞ってご紹介します(笑) 1.反省は上辺だけである 一応、「自分が君に色々言ったから、君に疎遠にされてしまった」みたいな発言はするんです。 しかし、 ・君に期待していたからうるさく言った ・元はと言えば、君のお母さん(毒母)が悪い ・君は、自分のところに戻ってきてくれた(※戻ってません。いつでも再び完全絶縁できるように手を打っています) と、「だから自分は悪くない」と主張します。 余談ですが、私の叔母(私の父の妹)は20-40代のときにかけて、毒祖父母と絶縁しています。 が、そのことについて反省したのは一時のことで、いまでは「なんでそんなに厳しいこと言うの?君はキツイな〜」くらいのことを平気で言います(笑) まったく反省せず、歴史を繰り返しています(笑) 2.相手が嫌がることを平気で言う 毒祖父は、私のすぐ上の従姉(父の姉(故人)の子ども。長女・長男・次女の三人兄弟の次女)に ・まだ子どもができないのか ・いつ子どもができるのか と散々話題にしたそうです。 毒祖父の話を聞く限り、 ・従姉は不妊に悩ん...

具体的な逃げ方(番外編)ー子どもが生まれる場合の住民票閲覧制限ー

【重要】 2025年5月時点、こちらの手続き方法は最新です。(同年同月に住民票の閲覧制限の更新手続きをした際、手続きのやり方について自治体窓口に確認済) 今回は、私が子どもを授かり、 生まれる子どもにも住民票の閲覧制限をかけることを決めたので、 役所に確認した手続きをご紹介します。 【あなたも含めて新規で住民票に閲覧制限をかける場合】 ①出生届を提出する ②子どもを含む家族全員の住民票閲覧制限の手続きを、夫婦揃って警察署と住んでる自治体の役所に行って行う (参考) 支援措置の手続き ただし、産後体調が悪い中、役所に行き、新規の手続きを全て行うことは非常に大変だと思います。 そこで、以下の手続きがオススメです。 【すでに世帯で住民票閲覧制限をかけており、子どもを追加で住民票の閲覧制限をかける場合】 (事前に…子どもが生まれる前に、夫婦の住民票に閲覧制限をかけておく) ①出産予定日よりも前に(目安は安定期〜予定日2か月前)、お住まいの自治体の役所に「子どもが生まれる」「支援措置の申請書類を自宅に郵送してもらえないか(あるいは、役所に取りに行くからそのときもらえないか)」と相談する ②お住まいのエリアを所管している警察署に、「子どもが生まれるので、子どもも支援措置の対象としたいが、どうすればいいか」と相談する ※軽微な変更のため来庁不要、という警察署もあれば、出産前に来庁を求める警察署もあります ③(出産からしばらくは妻が役所に行けないと思うので)妻が出産したら、夫が出生届の手続きに行く際に、記入済みの支援措置の申請書類と妻のマイナンバーカードのコピー(両面)を持参し、夫が支援措置(子の追加)の手続きをする ※自治体によっては、出生届を提出後、記入済みの支援措置の申請書類と妻のマイナンバーカードのコピーを郵送すれば、支援措置の手続きをしてくれることもありますので、事前にお住まいの自治体に確認しましょう 【余談】なぜ、子どもも支援措置の対象としたのか 理由としてはシンプルで、 ①私とその家族の住所を知られたくない ②子どもの保育園を特定されるのを防ぎたい です。 後者は、 ・住所がバレる ↓ ・保育園を特定される ↓ ・保育園から連れ去られる(お迎えの時間、園外でのお遊びの隙をついて、など) ...

毒親育ちでも、結婚式を挙げられます 〜 絶縁後の生活:2023年1月(絶縁から3年4か月目)

【目次】 1.前置き 2.なぜ結婚式をすることにしたのか 3.プランナーさんとの打ち合わせ 4.当日の様子 5.結婚式をやって、良かったか 1.前置き 2023年1月に、結婚式を挙げました。 毒親と絶縁しているのに、どうやって挙げたんだろう? と思うかもしれません。 そもそも、結婚式を挙げることに迷いはなかったのか? とも思うかもしれません。 確かに、「花嫁の手紙」とか、「最後の挨拶」など、 「THE 家族」な演出、どうしようかなぁ、と思いますよね。 でも、大丈夫です。 そういうのは一切カットして、自分たちらしい結婚式が挙げられます。 2.なぜ結婚式をすることにしたのか 元々、結婚式をしたいな、と思っていました。 私にとっては、憧れでした。 夫にとっては、「自分自身に対して人生の区切りを示すための儀式」でした。 毒親育ちで、私の母は呼べないけれども(父は他界)、 そこら辺は、うまく誤魔化せば大丈夫でしょ! という軽いノリで、ブライダルフェアに行ってきました。 なんかですね、毒親と絶縁して、プラス思考になっていたので、 「どうにかなるでしょう」と楽観的でした。 3.プランナーさんとの打ち合わせ プランナーさんには、「花嫁の両親は亡くなっていますし、 親族だけ呼ぶ少人数婚ですし、簡素にやります」と伝えました。 この発言で、プランナーさんからの演出に関するアドバイスもなくなり、 割と私の好き勝手にできました(笑) なので、当日の大まかな流れは、 ・神社で挙式 ・式場で披露宴 で、披露宴は、 ・挨拶は新郎新婦から ・乾杯は新郎父から ・締めのご挨拶は、新郎新婦から という流れにし、あとは適宜歓談スタイルにしました。 4.当日の様子 諸事情あって、私は、 ・親しい叔父叔母夫妻 だけでなく、 ・父方の毒祖父母 を結婚式に呼びました。 (あと、お世話になった、母方の祖父がわりの、とても大好きなおじいさんを呼びました) なお、事前に私からキツイお説教を毒祖父母にぶちかましたので、 毒祖父母は比較的おとなしかったです。 ※とはいえ、祖父は一部「やらかし」「イエローカード」な言動があったので、少しでも結婚式に傷が付くことが...